「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(26)
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パネルディスカッション
内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):どうもありがとうございます。時間も来てしまったのですが、今日は大変長時間の間、パネリスト、同時に聞きに来ていただいた方々、今日は角田研究の1つの新しい歩みと考えたいと思っています。同時に最後にお伝えしなければいけないのは、この会議場はソニーの井深さんが寄贈してできたわけですが、角田柳作の三男、力三さんの長男は、戦後柳作さんの遺志でアメリカに留学します。これからの戦後の世界は文科系ではなくて理科系なのだと。だからお前はエンジニアになれ、と文科系の学生を無理やり理科系に仕上げて自分のところで育てたとご遺族から聞いていますが、たまたまその方がコウイチさんという方なのですが、ソニーに採用されて、ソニーの幹部から大変将来を有望視されたのですが、急逝されてしまったのです。もう何年になるのでしょうか。そういうことになって、たまたまこの会場が…角田柳作生誕130年でもあったわけですが、ぜひこれを機会に様々な日米関係も含めてより新しい研究の旅立ちになればいいかなと思います。今日はどうもお忙しい中をありがとうございました。

宗像和重(早稲田大学図書館副館長):内海先生、パネラーの先生方、長時間にわたって熱心な議論をありがとうございました。ただ今ご出演の方々にもう一度拍手をお願いします。ありがとうございました。皆様の熱心なご討議で、角田柳作の仕事と今日的な意義を考える大きなきっかけを与えていただいたと思います。また、最後に頂戴した会場の皆様からのご意見などを通して今後考えていくべき新しい課題、新しい見方も浮かび上がってきたように思います。私どもは、この会を「角田柳作展—日米の架け橋となった“Sensei”—」というタイトルで今回開催したわけですが、午前中から午後のお話を伺って、書物を運ぶ人であり、文化を運ぶ人でもあり、また人を運ぶ人でもあった、そういう角田柳作という存在の意義をいろいろな形でもう一度考え直したいという気持ちを私自身強く思いました。図書館を中心として今回は企画しましたが、先ほどのお話にもありましたように、書物に関わる人でもあり、研究・教育に関わる人でもあった、そういう角田柳作の多様な面、そして日本とアメリカ両国にわたる大きな仕事の意味、そういうものを改めて考えてみたいと思っています。本日は、会場の皆様にも、午前中から午後にかけて大変長時間にわたりご参加いただいて誠にありがとうございました。深く御礼を申し上げます。最後に、本日の催しを共催していただきましたコロンビア大学を代表いただいて、先ほどご登壇いただきましたが、コロンビア大学C.V.スター東亜図書館館長エミー・ハインリック先生にご挨拶を頂戴したいと思います。先生、どうぞよろしくお願いします。


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