「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(12)
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パネルディスカッション
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):私は学部の学生としてコロンビア大学でしたし、大学院もそうでしたが、もう1つの大学で勉強したいと思いました。しかし、そうすると先生が悪く考えるかもしれないと心配していました。カリフォルニアの別の大学に行くのは悪いのではないかと心配していました。先生にその話をしたら、先生は仏教に遍参ということがあります。別の山に行く、つまり昔の仏教の僧侶はある山、あるお寺で勉強し、別のお寺に言って勉強することは普通でした、と。それでも私は遍参があるからハーバード大学に行きました。

今から率直なことを話します。そこにエリセイフという白系ロシア人の教授がいました。彼はアメリカでもっとも有名な日本文学の研究家でした。私はどんなにすばらしい講義があるだろうと思いましたが、私が先に申したとおりに彼にはノートがありました。毎年同じものを使って読んでいました。私は本当に非常にがっかりしました。角田先生のことを思って、この偉い先生は自分のノート以外に何も知らないのではないかと心配していました。それはもちろん嘘で、たくさん知っていました。しかし、例えば私は当時博士論文を書いていました。近松門左衛門の『国性爺合戦』の研究でしたが、近松の国性爺の浄瑠璃はよく上演されていますが、かなり難しいです。特に私の力では難しかったです。そして、エリセイフ先生と毎週2時間会って、『国性爺合戦』を一緒に読みました。しかし、エリセイフ先生は本当にきれいな日本語を話しましたが、近松の浄瑠璃は現在の日本語とかなり違いますから、時々わかりませんでした。そのときも角田先生だったら間違いなくわかったと思いましたが、私はエリセイフ先生も好きではなかったです。彼は有名だったことは恐らくハーバード大学にいたからだと思いました。もしほかの大学にいたとすれば、それほど評判にならなかったと思います。同じときにライシャワーさんもいました。ライシャワーさんは全然違っていました。専門は文学よりも歴史で、私も尊敬できる人でした。とにかく、私はハーバード大学でそれを1年間して、結果として益々角田先生を尊敬するようになりました。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):ありがとうございました。確かにエリセイフは東京帝国大学に最初の外国人留学生として留学するのですが、そのときの先生が夏目漱石だったと思うのですが、当時の帝国大学の授業は、ノートをただ読んで、エリセイフ先生は同じ形式を踏襲したのかもしれません。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):エリセイフ先生は、若いときによく勉強していたと思います。しかし、ある時点でもう勉強しなくてもいいだろうと思ったのではないかと思います。私はそう感じて、角田先生との対照が非常に強かったです。つまり、私は本当の学者は死ぬまで勉強するはずだと思っていました。それは不公平かもしれません。私は客観的に話せませんが、角田先生を知っています。最後の最後まで勉強していた方でしたが、昔よく勉強したことを、もう一度同じ原稿を読んで、もう一度同じ結論に達することは、私にとってあまりありがたくなかったです。

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