「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(3)
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パネルディスカッション
内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):ありがとうございました。次は和田先生です。午前中にもアメリカにおける日本語蔵書について総体的な角田柳作の意味づけをしていただいたわけですが、まだ言いたりないこともあったと思います。その引き続いた形でお話しいていただければと思います。よろしくお願いします。
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和田敦彦(早稲田大学准教授) 和田敦彦(早稲田大学准教授):午前中に長い間話したので、ここは手短にしたいと思います。やはり今日のお話を伺っていて結構気になっていることも浮かんできました。先ほどからのお話にもなりますが、角田柳作自身は戦争が始まって実際に拘束されてエリス島というところに連れていかれてしまうわけなのですが、やはり私自身は角田柳作自身の微妙な位置づけについて繰り返し考えざるをえないと思っています。

今日は私自身の話にも出しましたが、ニューヨークに新しく日本を紹介していく情報センターとしてJapan Instituteというところができるわけですが、ここのディレクターは前田多門という人物ですが、やはりJapan Instituteとコロンビア大学も深いつながりがあります。実際Japan Institute、日本文化会館というところは、戦争が始まって閉ざされるわけですが、そこは日本に関わる本をたくさん持っていたわけですが、戦中この本を一体どうするのかというときに託されるのがやはり角田柳作になるわけです。戦争の間中この本を預かってほしいということで、コロンビア大学がJapan Instituteの本を預かっていくことになります。ですから、一体角田柳作自身がそれまでの自分自身の日本とアメリカとの架け橋になろうという形で活動していたその活動自体が、同時に30年代というのは一種のプロパガンダと言いますか、日本の国家戦略の中に乗っかっていくこと自身をどれだけ意識して、どれだけ自分自身の微妙な位置を感じていたのかということにとても関心を持っています。

例えば最初に話したときに出したイエール大学の朝河貫一ですが、彼などはやはり30年代、戦争が始まりそうになってくる時期も含めてですが、繰り返し日本、あるいは日本の友人に向けて日本の国際的な政策なり、今現在のスタンスが非常に危ないものであるという形で批判的に繰り返し言及していくことになるわけです。ところが、角田柳作自身に関してはそういった政治的な発言と言いますか、日本の現在のあやうい位置についてどういったことを具体的に考えていたのだろうかということを考えていまして。

今日キーン先生からのお話で、まさに戦中に角田柳作さんとオーティス・ケーリさんも交えてお会いになってお話しをされたことを私は今日初めて伺ったのですが、そういった話を聞いているにつけ、一体どんなことがそこで話されたのかをあとで聞いてみたいと思いつつ、興味深く伺っていました。

実際、私の話の要点は、本を書いた人は残るのですが、本を持ち込んだ人、本を伝えた人はあまり歴史に残っていかないのです。角田柳作自身も本をたくさん書いた人ではないわけです。ただ、実際にはその本を伝えたり、誰かに提供したり、という人たちがいないと実際には本も文化も伝わっていかないということがありまして、今日のお話は、結局日米の架け橋としての角田柳作の位置づけなのですが、恐らく実際には角田柳作みたいにこうした活動をしていて、実際に名前が消えていった存在はたくさんいると思います。それこそ無数の橋桁のような人たちがたくさんいて、私は実際そういう橋桁の人たちのほうに関心がありまして、そういった人たちをもっと掘り起こしていく必要があるのではないかと一方で感じています。

ただ、そういう人たちは非常に資料が見つけにくいです。今回、角田柳作展を開くにあたっても、この後また角田修さんから詳しいお話を出てくると思いますが、やはり日米にまたがっている人たちというのは非常に資料が残りにくいというか集めにくいというか、そういう制約が出てきます。コロンビアの場合角田柳作という人物がいるわけですが、先ほどハインリックさんの話に出てきたバークレーなどでも、1900年代の最初のことに日本学などで教えている久野好三郎という人物が出ていますが、彼は物理学者なんです。物理学者で教えにいくわけですが、そこで一緒に日本の図書の世話もしているわけです。実は日米の間でいろいろな形で尽力していた、いろいろ活動していた、しかもどちらの国にも属さない、今現在よくわからないという人たちの足跡を実はいろいろな形でたどることができるのではないか、ということも感じていました。では私はこのくらいで。

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