「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(11)
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パネルディスカッション
内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):それに関して、キーン先生、Sources of Japanese Tradition、角田先生の講義のノートを誰かがとっていたのですか。それを基にして編集したのでしょうか。あれは具体的にどのように作られたのでしょうか。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):大体ド・バリーさんでした。ド・バリーさんはノートをとっていました。また、『好色五人女』を一緒に読んだときに、ド・バリーさんは毎回その日覚えたことを丁寧に書いていました。私はズボラで、書かなくても絶対忘れないと思っていましたが、忘れることはありました。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):先生、『好色五人女』を読んだときのテキストは1冊ですか、それとも何冊か。どういうふうに読んだのですか。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):あのとき何冊も同じものは、図書館に文学の本は非常に少なかったですが、西鶴の本はたぶん3、4冊は同じものがありました。1冊の中に○○のところに誰かが書き入れたのです。先生は西鶴のクラスには女子学生を入れないと言いました。当時の男性は女性を守っていましたが、そういう悪い影響を受けたら非常に悪いと思いました。とにかく、私たちは西鶴を全部読めました。当時はたぶんまだ1冊だけ誰か書き入れて。私たちが一番よく使った本は有朋堂文庫本でした。悪名高き有朋堂文庫は注がありましたが、注は、皆が知っていることだけなのです。江戸=現在の東京、あるいは孔子=支那の偉人、そういう注ばかりです。日本文学全体で1回しか出ないようなことをすました顔で。もう有朋堂文庫本を読まなくてもいい時代になって本当に嬉しいです。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):先ほど和田先生が少し話題にしたのですが、キーン先生は戦後に角田先生に習ってから、サイデンステッカーさんたちと一緒にハーバードに行かれます。そこで、ある意味では反面教師の人に会うことになるのですが、それは先生にどのような影響を与えたか、その辺をお話しいただくとよくわかると思うのですが。

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