「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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角田先生と私(8)010203040506070809
ドナルド・キーン コロンビア大学名誉教授

角田先生にとって、日本が戦争に負けたことは打撃だったでしょう。もしアメリカが負けたならば、同じように打撃だったでしょう。2つの国を愛する場合は、戦争が起こったら苦しい選択に直面しますが、どちらを選んでも悲しい結果になります。私たちは先生をなぐさめたかったので、オペラやバレエに連れていきました。先生は野球、特にニューヨーク・ジャイアンツのファンでしたのでよく行きましたが、西洋の音楽に興味があるかどうかはわかりませんでした。あまり好きでなくても刺激になるだろうと私たちは思いました。先生はオペラはあまり喜ばなかったようでしたが、バレエは大好きでした。新しいことを知るのは、先生の一番の喜びでした。先生が喜ばれたとき、まだ習っているよ、と答えたことはいつもありました。先生をなぐさめることに成功したかどうかはよくわかりませんが、先生は私たちの心から気持ちを感じたに違いないと思います。当時のアメリカの大学では、多くの教師は65歳になった時点で定年でしたが、例外的に68歳まで教えることが許されました。先生は80歳まで教えていました。まだ元気でした。次の世代の学生は、ぜひ先生の下で勉強したかったので、まだ教えていました。私はコロンビア大学に就職したので、休暇のときに先生が私の代わりに教えてくださったこともあります。

先生には著書が少なかったために、コロンビア以外の大学では十分知られていませんでした。西鶴の研究本を明治時代に発行されましたが、先生は本を恥ずかしく思うようになり、なるべくたくさん買って自分で捨てました。1958年に私の同僚のド・バリー君が『日本思想の源泉』という大きな本を編集しまして、作家として3人の名前を挙げました。つまり、角田先生、ド・バリー君、私です。序文では、この本は角田柳作先生の講義と翻訳に基づいていると書いてあります。装丁には二宮尊徳の詩の上の句が先生の字で書いてあります。「古道に積る木の葉を掻分けて」と。私たちはどうしてこの詩を選んだか覚えていませんが、過去の思想の上に木の葉が積っているので見えなくなりましたが、われわれは木の葉を掻分けて昔の人が残した教えを見るべきである、と先生は解釈しました。

晩年の角田先生はアメリカの歴史と人物に関心を示していました。ベンジャミン・フランクリン、ウイリアム・ジェームズに特に惹かれていました。この研究をとうとうまとめることはできませんでしたが、会話するとき、よくこれらの人物に触れていました。

角田先生は日本の思想家の話をするとき、各思想家の書いたものの新しさと重要さを強調しましたが、好き嫌いをあまり言いませんでした。仏教では空海を特に尊重したようです。若いときに高野山で勉強したこともあるようです。真言宗の信者でしたので、空海を尊重したことは驚くべきことではありません。しかし、私はあるレポートでこの事実を忘れて、空海よりも最澄が立派だったと書いたことがあります。先生は私には何も言いませんでしたが、ド・バリー君には不満をもらしました。それを聞いて自分の鈍感さを後悔しましたが、先生はすぐにそれを忘れたようでした。

しかし、先生は決して狭い宗教観の人ではありませんでした。あるとき多勢の学生たちと先生がピクニックに行きました。いつの間にか先生が見えなくなりましたので、皆心配しましたが、先生は木の下で座禅を組んでいました。私たちが近寄っても先生の表情が変わらなかったので、私たちは覗き込みました。同じときでしたが、先生はアメリカ人が自動車を運転するのは一種の座禅だと言いました。なぜなら、自動車を運転する人が座っていて全然動かなくても遠くまで行くからです。


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