「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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角田先生と私(7)010203040506070809
ドナルド・キーン コロンビア大学名誉教授

先生は、また相変わらず日本思想史も教えていました。先生は日本の歴史には3つの非常に重要な要素があると私たちによく言いました。3つは何かと言うと、太陽と水と山です。私たちはそうはっきりとよくわからなかったですが、やはり太陽崇拝が神道と仏教にも非常に大きな意味がありました。天照大神、あるいは大日様などは全部太陽と関係あるものです。仏教はいろいろな国にありましたが、日本は大日様を一番に選んで、特に真言宗の場合はそれが大事ですが、それは太陽の崇拝と関係がありました。すべての国に太陽があっても、ほかの国で太陽を崇拝することはあまりなかったです。インドでは太陽を嫌います。インド人は好きな女性に対して褒める場合、あなたは雨の日のように美しい、と言うのです。しかし、日本人には太陽が大切でした。先生はまた水、川の水、昔の日本では川の水が非常にきれいでした。日本人は洗うこと、ものをきれいにすることは非常に大切だと。風呂の文化だと言います。海も愛されています。東洋のほかの国では海は愛されていなかった。中国は海が嫌いでした。怖いものだった。しかし、日本人は海と川が非常に好きでした。水が一番大切なことで、日本の地名でもカワ、ビワ、スワ、などワが出ますが、それは英語のウォーターという意味があって、川も海も怖いけれども、日本では愛されています。山は、日本人の魂が行くところとして富士山をはじめ山の崇拝が全国的にありました。日本で一番古い神社は大神(おおみわ)神社で、三輪山が神体である山と水は一緒になりました。仏教の寺院は比叡山や高野山でできましたが、仮にお寺が平地にあっても、山が名前もありました。

つまり、それは3つの構成があったのです。日本人は太陽と水と山、自然を伝えるものですが。ほかの学者からそういった説明を聞いたことがありませんでした。私は一生忘れられませんでした。あるいは、現在の学者は角田先生の説を否定するかもしれませんが、私にとって極めて示唆に富むものとして、何回も先生のその言葉を思い出します。

大学院の学生のとき、学士論文として、私は本多利明と西洋発見を書きました。本多利明の名前を始めて聞いたのは、もちろん角田先生の授業のときでした。徳川時代の思想家についての角田先生の講義では、儒学のいくつかの派の学問を紹介されましたが、儒学よりも陽明学派の授業が好きで、どこの派閥にも属しないような独立思想が一番好きでした。本多利明は偉大な思想家ではなかったのですが、行き詰った幕末の日本に新しい道を開こうとした現実派の人物でした。修士論文の題は「本多利明と西洋発見」でした。私の最初の本は博士論文でした。近松門左衛門の『国性爺合戦』の研究でした。角田先生の元禄時代の文学の授業のときに始めて出会った浄瑠璃でしたが、修士論文と共通の面がありました。つまり、本多利明は西洋から日本のためになる知識を取りいれたかったのですが、『国性爺合戦』は日本と中国の話です。両方は鎖国制度に反発していたと私は思いました。『国性爺合戦』の研究を角田先生に捧げました。私がコロンビア大学大学院生として勉強していた間、先ほど申しましたとおり、角田先生が3種類の文学と思想史と歴史を教えていました。先生を搾取していたのではないかと学生たちは心配していましたが、私たちがそれほど日本のことを知りたがったことは、先生にとって一番のなぐさめではなかったかと思いたいです。


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