「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
HOME
あいさつ
開催報告
プログラム
フォトギャラリー
リンク
お問い合わせ
早稲田大学HPへ
角田先生と私(5)010203040506070809
ドナルド・キーン コロンビア大学名誉教授

戦争が終わったら、大学院の学生としてコロンビア大学に戻りました。普段、大学で日本の歴史と文学を教えていた先生たちは、当時は日本にいました。つまり軍人になって日本で何か顧問の仕事をやって、あるいは翻訳をやっていたのでしょう。ということで、先生は1人で授業を全部やっていました。先生は歴史と思想史はもちろんのこと、文学もやりました。文学となると、学生は日本古典文学を勉強したがりました。学生は大体7〜8人でしたが、皆違うことを勉強したかったです。数人は元禄時代の文学を勉強したい、別の人は平安朝の文学がいい、また別の人は宗教に特別に関心があって仏教文学を勉強したいと。結果として先生は3つとも教えるようになりました。つまり、先生は平安朝の文学でも元禄時代の文学での中世の仏教文学も十分教えられました。その上に専門である日本の思想史と歴史も教えていました。

先生は学校で英語を専攻していましたが、当時の教育を受けていたから小さいときから日本の古典文学を読んでいましたし、自由に読めました。私が初めてコロンビア大学の図書館を利用するようになって発見しましたが、図書館にあらゆる宗派の仏教の本、あるいは思想の本、あるいは歴史の本が揃っていましたが、文学の本はほとんどなかったです。先生の考え方は少し古風でした。文学は楽しむためのもので、別に勉強する必要はない、誰でも読めるから別に注釈書などはいらないと先生は考えていたでしょうが、私たちはそこまでいっていませんでした。皆は注釈書が欲しくてしょうがありませんでした。

しかし、当時は先生だけのことではありませんで、私が学位を取って初めて就職したのはイギリスのケンブリッジ大学でしたが、当時ケンブリッジ大学で英文学を勉強することは禁じられていました。というのは、皆英文学を知っているから何も勉強する必要はないということでした。外国文学ならばよいが、英国人として英国の文学を覚えるのはばかばかしい、学問にならないと。今は違います。しかし、同じような考え方はありました。

そうして私たちが何を勉強したかというと、私は未知の文学のセミナーに出ていましたが、平安朝では私たちは『源氏物語』の須磨と明石を読みました。『枕草子』の一部も読みました。元禄時代の文学もありました。私は『好色五人女』を全部読みました。それはきっと外国の日本語教育の歴史で初めてのことだと思います。つまり、外国で学生たちが『好色五人女』を全部読むということは、大変珍しいことでした。もう1つ言わなければいけませんが、先生は西鶴のクラスには女子学生は入れなかったのです。私たちが使った本は図書館にあったものでしたが、いつもそういう本に、西鶴の作品のある部分に○○とありましたが、しかし誰か親切な人が鉛筆で○○全部を詰めたので、私たちは全部読めました。私たちは、そのときは西鶴を読んで非常に楽しんでいました。


前のページに戻る 010203040506070809 前のページに戻る


プログラムへ戻る --- Pagetop