「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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角田先生と私(6)010203040506070809
ドナルド・キーン コロンビア大学名誉教授

学生の1人、ド・バリー君は私と親友ですが、彼はその後『好色五人女』の翻訳も発表しました。立派な翻訳です。ほかに私たちは『奥の細道』も読みました。私はそのとき『奥の細道』を翻訳して人に見せました。私は非常に得意に思っていました。すばらしい翻訳だと思いましたが、読んだ人は、君は『奥の細道』を大変面白い文学だとおっしゃったけれども退屈しました、と言いました。私は大事なことがわかりました。早く翻訳を出す必要はないということです。もう1つ私たちが読んだのは、それは部分だけでしたが、近松の『国性爺合戦』です。一部分だけでしたが、私はあとで博士論文のテーマにしました。もう1つのほうの宗教文学、仏教文学は『方丈記』と『徒然草』を読みました。

要するに、1年間で私たちは日本文学を相当数多く読みました。そして、皆本当に楽しんでいました。つまり、4年間大学から離れて自分の勉強ができない状態でしたから、自分の勉強ができるようになったので、皆本当に熱心に喜んで勉強していました。それ以来、そういう光景を見たことがないです。大体の学生たちは、私たちほど熱心に勉強していないと思います。つまり、私たちは4年間自分の好きな勉強をできなかったから、その埋め合わせとして短時間でなるべく広く日本文学を勉強しました。そして、角田先生は理想的な先生でした。先生は、何も調べないで全部わかっていました。西鶴にしても近松にしても、どんな時代のものでも先生は自由に読め、私たちに説明できました。

先生は、別に歴史も教えていましたし、日本思想史も相変わらず教えていました。先生は非常に無理なことをしていました。1年間で私たちはあれほど日本関係のものを勉強したことはきっと蜃気楼だったでしょう。私は同じようなことを聞いたことがありません。私たちは海軍にいた4年間を埋めるようになるべく広く日本語を読んで、なるべく自分のものにしようと思っていました。当時の本にはあまり注釈がありませんでした。例えば西鶴を読んだときに、先生はまったく注のないものでした。西鶴は難しいです。私は1つだけ覚えているのですが、お七の話の中で「すこしの煙立ちさわぎて」、というところで、私たちは「すこしの煙」が何のことかわかりませんでした。どうしてそんなことを書くのかと先生に聞いたら、先生は笑って、あれは大火のことです、と。つまり、八百屋お七はもう一度自分の愛人に会うために放火して、江戸の町は炎の海になりました、と。私たちは当然それがわからなかったです。


ドナルド・キーンコロンビア大学名誉教授


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