角田柳作WEB展 日米の架け橋となった"Sensei"
 
開催にあたって Greetings”
角田柳作の生涯 Biographical Sketch
メッセージ Messages
年譜
角田柳作著作リスト
協力者
1893-1896 早稲田 (Waseda)
明治26年 (1893) 10月、柳作は東京専門学校 (早稲田大学) 文学科に入学し、坪内逍遙、大西 (おおにし) 祝 (はじめ)、アーサー・ロイドなどの良き師にめぐりあい、勉学に励んだ。下宿を転々とし、ときには腸カタルなどの病気に見舞われながら、3年間の学生生活を過ごした。
 
In October 1893 (Meiji 26), Ryūsaku was admitted to Tokyo Senmon Gakkō (the present Waseda University) and studied in the Department of Literature under Professors Tsubouchi Shōyō, Ōnishi Hajime, and Arthur Lloyd. Although he needed to move often and was frequently ill, he completed the curriculum in three years.
 
 
 
 

柳作入学当時の早稲田
Tokyo Senmon Gakkō, Waseda

 
柳作が入学した頃、東京専門学校は創立10年を経たばかりの若い学校であった。早稲田田圃のただ中にあった。[早稲田大学蔵]
 
 
 
 

東京専門学校時代 東京九段坂 鈴木真一
As a student of Tokyo Senmon gakkō

 
後列中央が柳作。学友たちとの記念に撮影したものであろう。東京九段にあった有名な写真館、鈴木真一のもとで撮ったものである。[角田修氏蔵]
 
 
 
 

大西祝「哲学史」講義ノート 大西祝講義、角田柳作筆記
Ryūsaku's notebook for Prof. ōnishi Hajime's lectures on the history of philosophy

 
当時の学生たちは、講義内容を文字通り一言たりとも聞き逃さぬようノートにとっていた。このノートの丁寧な筆跡を見ると、復習しながらの清書かもしれない。[角田修家文書 (群馬県立文書館寄託)]
 
 
 
 

「へだてぬとも」東京専門学校文学科第4回卒業文集
東京 小林存 明治29年12月10日
Hedatenutomo

 
この年7月、3年の学業を終え柳作は無事卒業する。大西祝の下で共に学んだ学友たちとの卒業文集には、荘子についてまとめた卒業論文「上古の開化に就て詳説」の概要、執筆動機を寄せている。[早稲田大学図書館蔵]