角田柳作WEB展 日米の架け橋となった"Sensei"
 
開催にあたって Greetings”
角田柳作の生涯 Biographical Sketch
メッセージ Messages
年譜
角田柳作著作リスト
協力者
柳作の教育活動と後継者たち
角田柳作は昭和39年 (1964) 11月、日本へ行く途中、ハワイで病のため生涯を終えた。日本でも、ハワイでも教壇に立ち、その後30年余にわたってコロンビア大学の教壇に立ちつづけた彼は、たとえ学生が一人だけであっても全精力を傾けて講義をし、学生たちをひきつけた。彼みずから収集した日本関係資料コレクションが、やがて学生たちを一流の日本研究者に育てた。
柳作の謦咳に触れ、指導を受けた人たちは戦中、戦後のアメリカにおける日本研究の中核として活躍し、その系譜は今日まで受け継がれている。彼が「日本学の父」と呼ばれ「Sensei」と親しまれてきた理由はそこにある。
 
Ryūsaku's Instructional Activities and His Followers
Tsunoda Ryūsaku died while in Hawaii on his way to Japan, from illness, in November 1964 (Shōwa 39).
After teaching in both Japan and Hawaii, for the subsequent thirty years he continued his teaching at Columbia University. By concentrating all his energies on his lectures, even if there was only one student in the class, he attracted many students. He himself collected Japan-related books and materials for the library, which helped students to become first-rate scholars in the field of Japanese studies.
Ryūsaku's students played an active role in Japanese studies in the United States during and after World War II, and this lineage can still be identified today. This is why Ryūsaku is called "the father of Japanese studies" and is still the only person referred to simply as Sensei at Columbia University.
 
 
 
 

角田柳作写真 鈴木大拙とともに
With Suzuki Daisetsu, Zen Buddhist, 1960s

 
世界的な禅学者鈴木大拙 (1870-1966) は1950年代、すでに80歳をこえていたが、コロンビア大学客員教授としてニューヨークに住んでいた。リタイアしてからも教壇に立っていた柳作も顔を合わせていたであろう。手前で猫を抱いているのは大拙の秘書岡村美穂子。[コロンビア大学蔵]
 
 
 
 

ジョージ・サンソムと
With Sir George Sansom, 1949

 
イギリスの外交官で日本研究者として知られたジョージ・サンソム卿 (1883-1965) は1948年、コロンビア大学東アジア研究所の初代所長となった。彼も柳作の影響を受けた一人で、角田の弟子を自認しており、『日本と西欧』などのすぐれた著書を著している。[コロンビア大学蔵]
 
 
 
 

カーク学長、田中三男総領事と
With University President, Grayson Kirk and Consul Tanaka Mitsuo,1954

 
1953年から、1968年の学園紛争時までコロンビア大学学長であったG.カーク (1903-97) は、角田柳作のよき理解者であった。柳作没後、大浜信泉早大総長との間で、「角田柳作記念文庫」の設立について話し合っている。田中三男は総領事在任中、日本語図書の収集に協力した。[コロンビア大学蔵]
 
 
 
 

吉田茂首相と (1954)
With Prime Minister Yoshida Shigeru, 1954

 
サンフランシスコ講和条約締結の立役者であった吉田茂は、首相在任の最後の年、コロンビア大学を訪ねて日本語図書を寄贈した。コロンビア大学は彼に名誉博士号を贈り、それに報いた。柳作は当時のチェンバレン副学長とともにワンマン宰相を迎えた。[コロンビア大学蔵]