「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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アメリカにおける日本学の形成と角田柳作(9) 010203040506070809
和田敦彦 早稲田大学教育・総合科学学術院准教授

再度日本の書物の動きの話に戻ります。時代は戦時期から占領期にかけて、日本の歴史上最大の図書の海外流出期を迎えます。冒頭でアメリカ国内最大の日本語図書を蔵した議会図書館の蔵書が戦前には32000冊だったと申し上げましたが、占領期の最初の数年だけで接収されていく日本語文献の数は40万点を優に越えていきます。書物の購入や交換、あるいは接収をめぐってそこに様々な問題点がそこに起こってくるわけですが、今日はそこまではお話しすることができません。ここでは戦前の日本語図書の収集や図書館構築を追いながら、その中で角田柳作の活動を駆け足でたどっていって位置づけていく、そういう話をすることにしました。

最初にお話ししましたが、私の話は特に日米間の日本語書物の流れ、そしてアメリカにおける日本語蔵書の形成という観点から、その観点に限定した話なわけです。ただ、この調査を続けていて非常に痛感したこと、それはなぜそこに日本の本があるのかという問いが、同時にその本をめぐってどんな人物や組織が何のために活動していたのか、そういう様々な問いへとつながっていったということです。ですから、日本語図書の問題は、日本語教育をはじめとして、図書館の問題もそうですし、占領期の文献の接収や検閲などの問題とも広く関わってくる問題でもあります。

つまり本がそこにある、その本を読むことができるという事実は、実は当たり前でも何でもない、それを支えてきた無数の人たちの営みがそこにはあるということです。例えばコロンビア大学は戦前においては最もしっかりした日本語図書の目録作成を行っていました。著者名、何年何月発行という情報です。ああいう目録作成でもコロンビア大学は最高に優れた目録作成方針を確立していたわけです。なぜそのようなことができたのかと言いますと、これは戦前角田柳作と当時の米国学術団体評議会(ACLS)との間で日本語図書をどのような形で目録を作成して提供していくのかを考えるためのプロジェクトを作っていたのです。ですから、早い段階から日本語図書の管理に関しても非常にしっかりとした情報を作り上げていたわけです。

これは日本学に関わらない話ですが、どのような学問領域であっても、ある本がどこにあってどういうタイトルの本がどこにあるのかという情報がはっきりとわからなければ学問は成立しません。ですから、一見地味に思える話かもしれませんが、こうした図書の基本情報を整備して提供していく作業は決して小さな活動ではなく、それなくして読者は書物にたどりつくことができない重要な活動だと言えるわけです。ですから、角田柳作自身は、今回のテーマにあるように日本とアメリカの架け橋となっているわけですが、例えば書誌作りといった書物と読者との間の架け橋と言いますか、そのためにも非常に強い関心と努力を行ってきた人物だと言えると思います。

最後になりますが、今回早稲田大学の図書館では、角田柳作の旧蔵書を角田柳作記念文庫として公開しています。ただ、これまでの話を聞かれた方はもうおわかりかと思いますが、この角田柳作の記念文庫にあるこの本が前から早稲田大学にあったわけではありません。当然ここに彼の蔵書があるという背景には、角田柳作の本を維持して、記録して、それをここに送り届けてきた人たちがいるわけです。ですから、その方々に深く感謝することをもって、今日の私の話を終えさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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宗像和重(早稲田大学図書館副館長):和田先生、どうもありがとうございました。アメリカにおける日本語図書の流通、形成という広い文脈の中で、角田柳作が果たした役割についてお話をいただきました。


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