「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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アメリカにおける日本学の形成と角田柳作(6)010203040506070809
和田敦彦 早稲田大学教育・総合科学学術院准教授

この2つの新聞からは、すでにこの段階でアメリカ国内での大学や博物館、あるいは学会関係者から広く協力を取りつけていることがうかがえます。また日本国内の準備資金、つまり日本国内で本を収集していく必要があるわけですから、最初の準備資金をアメリカ国内の有志に呼びかけて、また図書の収集や運営資金はどうするかというと、それに関しては日本の篤志家の支援をあおごうという計画になっています。とりあえず3年間は日本の篤志家から援助をもらって、ゆくゆくは日本からの支援ではなくてアメリカ国内での自立と言いますか、アメリカの人たちによってそのまま自立していくような施設を構想していたわけです。

結果から言えば、この構想に関してはかなりうまく準備が進んでいきます。三菱合資会社の社長である岩崎小弥太がこの設立にあたっては経済的な支援を申し出て、その後3年間維持していくだけの資金を得ることができます。本を集める資金はだんだん集まってきて、なおかつ3年間維持していくお金もできてくるわけですが、ただ非常に困った問題がそこに出てきます。それが結局、図書を収めて提供する場所なのです。1929年…これもそうなのですが、実際この場所に困った結果、最終的にはコロンビア大学に置かせてもらうことになるわけですが、例えば次のものはニューヨークタイムズの記事から持ってきましたが、5000冊の本が届いてさらに何万冊も本が届くという状況にあったわけです。ではこれらの本をどのようにするのかというときに場所を提供してくれたのが、コロンビア大学なのです。ただ、これはこの段階では寄贈ではなくて、あくまでも一時的な保管場所を提供したということになります。それで3年間維持していくわけですが、ただこの場所の問題はなかなか解決を見ません。折しも株価の大暴落に端を発した世界恐慌の中ですので、3年間を過ぎた段階でもニューヨークでこれだけの規模の図書を置いて、なおかつ研究や講演をやっていけるような場所がなかなか見つからないのです。実際に3年を過ぎようという頃になって、見通しがつかなくなっているわけです。

そこの中でアメリカ国内の学術機関に寄贈してはどうかという可能性が浮上してきます。ただ、寄贈といってもそう簡単に寄贈はできないのです。なぜかと言いますと、これらの図書は、今まで話してきましたが、アメリカ国内に日本研究所を作るという理由で日本の国内に訴えかけて、たくさんの寄贈を集めてきたわけです。ですから、ただ単純にいろいろな価値を説いて集めてきた本を特定の大学にあげるという話になってくると詐欺のような話になりますから、そういうわけにはいかないのです。きちんとした理由や、今後どういう形でそれを管理していくのかということをかなり明確に考えないと寄贈するにしてもできないということになります。こういった可能性が取沙汰されている折に、これに対してコロンビア大学側では日本研究の将来計画や青写真を提示して、またこれらの図書を獲得したいという積極的な動きが出てきます。


和田敦彦早稲田大学教育・総合科学学術院准教授


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