「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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角田先生の思い出(4) 010203040506
甲斐美和 元コロンビア大学図書館司書(録画)
宗像和重(早稲田大学図書館副館長):伺っただけでも非常に熱意溢れる授業が想像できるのですが…
甲斐美和:もちろん学生さんにも話すような場面もあるのですが。先生の講義が多かったですね。
宗像和重(早稲田大学図書館副館長):そういう授業の前などによく甲斐さんのところにいらっしゃって、ご本や、今のようにカードを取ったりなさっていたのですね。
甲斐美和:ええ。なさるだけで、それが例えばカタログで1707年に死んだなどと書いても、それを使うわけではないのです。用意として必要だというわけなのです。年代など正確に用意しておきたかったわけです。ですから、参考書よりももしもの場合、と思ってたくさん持っていらっしゃるのですが、実際に学生に見せるのは4、5冊程度で。1時間の授業ですから、そんなに時間がないのです。それでもある、ということだけでも知ってもらえるということで、一生懸命なのです。そのおかげで学生さんも後から来ました。今日の参考書類を見たいのだと言って来ますから。こちらも運んだ経験もありますので、どんな本を使っていたかわかりますので、すぐそこで。ですから、結局役立っているわけです。
宗像和重(早稲田大学図書館副館長):直に接しておられて、角田先生の日常生活と言いますか、あるいは生活のスタイルと言うのでしょうか、そういうことで印象に残っておられることは。あるいは気がつかれたことなどがありましたら、ぜひ伺いたいのですが。
甲斐美和:贅沢の“ぜ”の字もないほど慎ましい生活ぶりでした。お家においても学校においても。何と言いましょうか…お寺の感じかしら。とにかく質素な。
宗像和重(早稲田大学図書館副館長):角田先生は確かはじめはハワイにいらっしゃって、それが本願寺の関係にお勤めでしたね。
甲斐美和:ええ。校長さんか何かだったと思います。本願寺と縁が深かったのではないかと思います。ここでも西本願寺だと思いますが、早くにお仏壇の寄贈があったのです。写真などが残っていると思います。高野山とも深い関係があったようです。一時、洋書ですがこ自分の本を高野山に寄贈されたことを覚えています。あとは早稲田にいきましたが。ですから、非常に日本思いでした。ですから、戦争に…最後のお住まいはマンハッタンの北端ですが高台なのです。そこに上るとエンパイヤステイトビルよりも高いところなのだそうです。そして、西向きにはすぐ側にハドソン河があって、向こう側にはニュージャージーの丘などが見えるのですが、そこを散歩されるのは毎日されていたらしいのですが、戦争になってからも日没になると日本がそのうち負けるのだというので、まるでお寺か何かのようにされていたみたいです。

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