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芭蕉木像 1基 笈型厨子入
江戸中期
文庫31 F0019

布製の宗匠頭巾をかぶった松尾芭蕉(1644-1694)の木像。江戸中期の京都の仏師による作。背負紐付の笈に収められている。座の引出にはこの像に関わる書簡や伝来書がしまわれており、それによれば、はじめ其角の門人湖十が所持し、のちに漁千、万和、岱年、梅笠に伝来したという。

おくのほそ道 1冊 芭蕉 著
井筒屋庄兵衛 元禄15(1702)刊
文庫31 A0150

芭蕉が門人の河合曾良を伴い江戸深川から美濃大垣まで旅をした折の紀行文。能書家の柏木素龍に清書させ芭蕉自らが題簽をしたためた「素龍清書本」を遺言によって去来が譲り受け、素龍の跋文のみを省き、表紙・枡型の形・書体・字配り・題簽などを忠実に再現して出版した初版本。

「枯枝に・笠やどり」画賛 1軸 芭蕉 筆
天和2(1682)頃写
ヘ05 06674

「枯れ枝に」の句は延宝8年(1680)秋の作で『曠野集』巻之4に「かれ枝に烏のとまりけり秋の暮」と改作され収録されている。俳文「笠やどり」に続く「世にふるは」の句は深川芭蕉庵入庵後の作である。深川芭蕉庵入庵の2年後、天和2年(1682、芭蕉39歳)の染筆とされる。着彩画の作者は未詳。

松尾芭蕉書簡 林桐葉宛 1軸
貞享4(1687) 年4月3日付
文庫31 D0032

尾張国熱田の俳人林桐葉(1653-1712)に宛てた芭蕉の書簡。熱田俳人たちへの熱心な指導ぶりが伺える。また「一晶ニ点為致 少拙者心ニも不叶所々…」との記述があり、天和年間には江戸で親しくしていた京都出身の俳諧師一晶(?-1707)に対し、この時期には批判的な意見をもっていたことがわかる。

芭蕉肖像 1軸 破笠 画
元文3(1738)
ヌ06 09219

小川破笠(1663-1747)は蕉門の俳人。本資料は破笠が76歳の時の作品である。破笠は「破笠細工」という作風で漆芸家としても有名であるが、芭蕉の肖像画も多く残しており生前の芭蕉を知る人物による肖像画として重要である。

芭蕉並賛肖像 1軸 定雅 画・賛
江戸中期
文庫31 D0155

京都の俳人西村定雅(1744-1826)画。樗良門と言われているが、几董、百池、月居など蕪村門とも親交があった。本資料は、芭蕉肖像に芭蕉翁の四季の句を賛としている。

芭蕉肖像並賛 1軸 月峯 画 闌更 賛
江戸中期
文庫31 D0158

京都の画僧で池大雅を師とした月峰(1760-1839)が肖像画を描き、加賀俳人の高桑闌更(1727-1799)が賛を書いている。「古人の跡をもとめず」から始まる賛は、近江彦根藩士の弟子許六が元禄6年(1693)に江戸番を終え帰郷するときに芭蕉が送った餞別の言葉である。『韻塞』、『風俗文選』に所収。

冬の日 尾張五哥仙 1冊 荷兮 編
貞享元(1684)刊
文庫31 A0379

尾張国の俳諧師山本荷兮(1648-1716)編。書名下に尾張五哥仙とある。芭蕉が「野ざらし紀行」の旅で名古屋に立ち寄った際に、尾張の俳人たち—野人、荷兮、重五、杜国、正平ら—と催した歌仙5巻と表六句からなる。蕉風復興期の俳人たちから「蕉風開眼の書」として注目された。

波留濃日 1冊 荷兮 編
寺田重徳 貞享3(1686)刊
文庫18 00098

尾張蕉門による俳書。芭蕉の『曠野集』序より芭蕉指導の下でつくられたことがわかる。芭蕉の句「古池や蛙飛びこむ水のをと」を収録。

曠野集 3冊 荷兮 編
筒井庄兵衛 元禄2(1689)序
文庫31 A1631

尾張蕉門を中心とした俳書。巻之1-8および員外があり、俳諧七部集の中では大部である。巻頭には貞門俳人貞室の句を据え、宗祇、宗鑑、忠知、季吟ら古人や他門の発句も含まれている。芭蕉の序文および35の発句が寄せられている。

ひさこ 1冊 珍碩 編
井筒屋庄兵衛, 元禄3(1690)序
文庫18 00113

近江の俳諧師珍碩(?-1737)編。珍碩、曲水、正秀、乙州ら近江蕉門による歌仙5巻を収める。おくのほそ道の旅を終えた芭蕉は近江国湖南にしばらく滞在し、その地の俳人たちを親身に指導した。巻頭の芭蕉の発句「木のもとに汁も鱠も桜かな」は「かるみ」を示す早い例とされている。

猿蓑集 2冊 芭蕉 著 去来,凡兆 編
井筒屋庄兵衛, 元禄4(1691)序
文庫31 A0382

向井去来(1651-1704)、野沢凡兆(?-1714)編。書名は巻頭の芭蕉の句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」による。巻之6には芭蕉の俳文「幻住庵記」が収められている。完成度が高く俳諧の「古今集」とも言われている。初版本(取り合わせ本)。

炭俵 2冊 野坡・孤屋・利牛 編
本屋藤助, 元禄7(1694)刊
文庫18 00123

志太野坡(1663-1740)、小泉孤屋(生没年不詳)、池田利牛(生没年不詳)編。序によると、書名は「炭たはらというは誹也けり」という芭蕉の独り言に由来する。嵐雪、其角、桃隣、素龍、杉風ら江戸の蕉門の句が多く収められている。芭蕉の晩年の風潮「かるみ」を具現した代表的なもの。

續猿蓑集 2冊 芭蕉 撰 沾圃 ほか編
ゐつゝ屋庄兵衛 元禄11(1698)跋
文庫31 A0384

服部沾圃(1663-1745)ほか編。井筒屋庄兵衛による巻末の附記には「芭蕉の死後に伊賀上野の芭蕉の兄のもとにあった草稿を懇願して出版」と記されている。服部沾圃(1663-1745)ほか編。井筒屋庄兵衛による巻末の附記には「芭蕉の死後に伊賀上野の芭蕉の兄のもとにあった草稿を懇願して出版」と記されている。

其角書簡 加生・去来宛 1軸
元禄3(1690)
文庫31 D0044

『猿蓑集』編者である野沢凡兆(加生)と向井去来の二人に送られた其角の書簡。『猿蓑集』には俳文も何編か収録する予定であったが、結局芭蕉の「幻住庵記」一編のみとなった経緯がある。本書簡には其角の俳文が含まれており、『猿蓑集』の編纂過程に関係する資料として興味深い。

蕪村書簡 百智宛 1軸
江戸中期
文庫31 D0069

門人で後援者の寺村百池(百智、1749-1835)に宛てた蕪村の書簡。端午の節句の祝儀と「月俸」への礼のほか、頼まれた文台への揮毫が遅れていることへの詫び等をしたためたもの。「笋や醍醐の僧の駕の屋根」の句を添える。

花つみ 2冊 其角 編
西村載文堂, 元禄3(1690)刊
文庫31 A0081

宝井其角(1661-1707)編。亡き母の追福のために編んだ句日記。自身の句のほか、其角周辺の人々の句文を収める。収録句から、其角の交友関係など宗匠としての日常が窺える。

枯尾[華]  2冊 其角 編
井筒屋庄兵衛, 元禄7(1694)刊
文庫18 00122

其角編の芭蕉追善集。其角の追悼文「芭蕉翁終焉記」で芭蕉の臨終前後が描かれるほか、其角、支考、丈草、惟然らによる追悼百韻では、其角の発句「なきがらを笠に隠すや枯尾花」に、支考が「温石さめて皆氷る聲」と脇句をつけ、芭蕉の死を悼んでいる。その他、嵐雪の追悼文、諸家の追悼句などを収める。

笈日記 3冊 支考 編
井筒屋 元禄8(1695) 刊
文庫31 A0114 (上、下)
文庫31 A1948 (中)

各務支考(1665-1731)が各地を巡り、芭蕉の遺吟・遺文や諸家の芭蕉追悼吟などを集めて編んだ芭蕉追善の句文集。諸家の句文を集め編纂することを構想していた芭蕉の遺志を門人の支考が引き継ぎ本書を刊行した。特に、日記風に綴られた芭蕉臨終前後の記録は資料的価値が高い。

泊舩集 3冊 風国 編
井筒屋庄兵衛 元禄11(1698)刊
文庫31 A0139

芭蕉の遺稿集。門人の伊藤風国(?〜1701)編。書名は芭蕉の別号「泊舩堂」による。本書は芭蕉やその門人たちの句のほか、「芭蕉翁道之紀」と題した「野ざらし紀行」を収録しており、これが同紀行最初の刊行である。

風俗文選 5冊 許六 編
野田治兵衛尉 宝永3(1706)
文庫31 A0172

森川許六(1656-1715)編。芭蕉の遺志を継いで蕉門の俳文を集めた初の本格的な俳文撰集。最初『本朝文選』という題号で出版されたが、それについて支考の非難があり、『風俗文選』と改題して再版され、以後この改題本が世に広まっていった。

笈之小文 1冊 芭蕉 著
平野屋佐兵衛 宝永6(1709)刊
文庫31 A0180

芭蕉が貞享4年から翌年にわたる旅中に書き留めていたものを、門人の河合乙州(生没年不詳)が芭蕉没後に整理し出版したもの。江戸から尾張、伊賀上野、奈良、大坂などを辿る「笈の小文」のほか、上方からの帰路に信濃国などを巡る「更科紀行」も含まれる。本資料は平野屋版の初版本。