古文書50選

47.徳川家康加筆徳川頼宣家臣知行書立 1巻 文庫12 105
[慶長14年(1609)頃]

徳川頼宣は家康の第10子として生まれ、知行は常陸・水戸20万石にはじまり、さらには和歌山城主として紀伊・伊勢55万石余を領した。これは、頼宣の家臣団一人ひとりの知行石高を定めたもの。幼少であった頼宣に代わり、家康が石高を書き入れている

48.細川忠利書状 1軸 文庫12 145
[寛永15年(1638)]3月5日

島原の乱に関する一資料。前年来、島原藩や幕府軍を撃退していた反乱軍も、老中松平信綱指揮下の幕府軍によってこの年2月、ついに敗れ去った。拠点であった原城陥落と、首謀者である天草四郎こと益田四郎時貞捕縛の状況を伝えている。

49.池田光政普請法度 1巻 リ5 15590
寛永19年(1642)3月1日

池田光政(1609−1682)は、父の死後、播磨42万石を継ぐが、幼少を理由に因幡・伯耆32万石に減封、寛永9年に国替により備前岡山に移った。本文書の発せられた寛永19年には、仕置職の設置や御掟十五ヶ条の制定といった行政機構、諸法度の整備に力を注いだ年である。

50.大石神影流血判起請文 1巻 イ4 3153 A26
自天保8年(1837)11月吉日至天保9年(1838)8月5日

江戸末期の筑後柳川藩士で、大石神影流を開いた大石進(号・武楽、1797-1863)に宛てて弟子たちが書いた起請文。各人が花押、血判を据えている。江戸での他流試合で名をあげた大石のもとには帰国後も諸藩からの入門者が多かったというが、それは本文書の門弟の出自が九州だけでなく、土佐、水戸等に広がっていることからもわかる。