早稲田大学図書館所蔵貴重資料

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日本南極探検(白瀬南極探検隊ドキュメントフィルム)
中央図書館AV8T-83
白瀬南極探検隊

「白瀬南極探検隊」

ドキュメントフィルム(16ミリ)。白黒、15分。
1910(明治43)年11月29日、「開南丸」と名付けられた一隻の船が東京芝浦桟橋を出発。それが日本で初めての南極大陸上陸を目指す白瀬南極探検隊(隊長白瀬のぶ矗)の船出であった。
それからの長い船旅の間、洋上でのマグロ釣り、同行した樺太犬の大量死、珍鳥ペンギン捕獲等さまざまな出来事が起こる。また船という小さな空間で大勢の人間が暮らしているから当然人間関係の問題も起きてくる。それらをも乗り越えてのチャレンジである。

1911年3月、南極海へ到達。しかし結氷期を迎えた南極海は厚い氷に閉ざされ、探検隊の前進を阻むのであった。やむなく航路を反転。とりあえずシドニーにて越冬し、春を待つことになる。しかし滞在中も日本の南極探検隊後援会の内紛や白瀬隊長毒殺未遂事件など、難しい問題が山積みであった。

そして11月19日、隊長以下27人の乗員と犬30頭、2年分の食料を載せて再度南極大陸目指して出発。そしてついに翌1912年1月16日、日本人として初めて南極大陸の一角に上陸することに成功し、その名を歴史に留めたのである。

その後乗員を観測隊と突進隊に分け、今度は南極点へ挑戦。しかし前人未踏の大地と天候の厳しさは予想以上。南緯80度5分、西経156度37分の地点をもって最終到達点とした。食料の限界により南極点へ向かうのを断念したのだ。南極点までは直線距離にして9度55分、約1101kmであった。

本学に所蔵されているものはその探検隊の行動を記録した16mmのフィルム。探検隊後援会長・大隈重信の依頼により、M・パテー商会の田泉保直技師が第二次探検隊(シドニー以降)に同行して撮影したもの。明治時代の貴重なフィルムである。

この南極探検の記録は白瀬矗著『南極探検』、多田恵一著『南極探検私録』『南極探検日記』、南極探検後援会『南極記』等に残されている。このフィルムもビデオにダビングされており、本学図書館のAVルームで閲覧が可能である。

* このページは、早稲田大学学生部発行「早稲田ウィークリー」所収「早稲田の貴重書」に若干修正を加えたものです。
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First drafted Febrary 18, 1998
Last revised November 25, 2005