早稲田大学図書館
WEB展覧会
第31回

[ Part. 1 ]

「老子図」 1軸 チ3-3816-22
古代中国にあって、“老荘思想”の開祖とされ、のちにそこから派生した道教の神と崇められた人物。『老子』はその思想をまとめた書物の名前でもある。日本へは7世紀頃に伝わったとされる。仁義礼智といった倫理観にもとづく儒教思想に対し、ダイナミックな自然観、宇宙観を展開する老荘思想は、日本人の思想、信仰にも大きな影響を与えた。
老子(ろうし、前5世紀頃)

「達磨図」 洗昇画 1軸 文庫8-C930
「ダルマサンガコロンダ」、高崎のだるま市、選挙の当選ダルマ...。達磨は釈迦と並んで、いやもしかしたらそれ以上に日本人にとってポピュラーな仏教の偉人かもしれない。戦国・江戸時代の武士たちに好まれ、多くの達磨図が描かれた。斜に構えて正面を見据えるその姿は、あたかも武芸の達人のようである。
達磨(だるま、?-532?)

  「歴代君臣図像」 慶安4年(1651)5月刊 2冊 ヌ8-1250
中国史上の著名な人物をまとめた肖像画集。ひとたび丁を繰れば、そこには三国志や史記の世界が広がっている。こうした肖像画集は、江戸時代の学者たちの座右の書として、また教育の場や画家の手本などとしても役立ったと思われる。慶安4年5月刊。
図は諸葛亮(孔明)、武則天(則天武后)。
武則天、諸葛亮

「聖徳太子肖像」 写本 『藝海余波』五 1冊 イ5-1646-5
「十七条憲法」「冠位十二階」など、6世紀後半の日本にあって、その土台を築いた人物といわれてきた。20年ほど前までは紙幣、それもそれぞれの時代の最高額の肖像として使用されるなど、その聖人君子的なイメージは人々の心にくっきりと焼き付いている。ただ、近年、その業績に対し大きな疑義が提示されており、だとすれば厩戸皇子と呼んだほうが間違いがないであろうか。
聖徳太子(しょうとくたいし、?-622)

「大織冠像」 摸本  1軸 ヌ6-1945
7世紀の政治家。藤原氏の祖、大織冠。彼が中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに推進した“大化の改新”は、まさに日本史上最大級の政治改革であった。下半部に空白部分があるが、原本にはここに息子の定恵、不比等が描かれており、仏教の三尊図のような形式をとっている。
藤原鎌足(ふじわらのかまたり、614-669)

「柿本人麻呂像」 谷文晁摸本  1軸 チ4-4096
奈良時代を代表する宮廷歌人。その存在は後世の人々に多大な影響を与え、「歌聖」と称され多くの肖像画が描かれた。梅原猛の『水底の歌』では恨みをのこして刑死したことになっているが真実はさだかでない。
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ、700年前後)

「三十六歌仙絵巻」  摸本  1巻 チ4-1028
平安時代の代表的な歌人36人の肖像画集。本図はその中の小野小町の肖像。小野小町といえば、平安時代を代表する女流歌人であるが、それよりもやはり今日でも○○小町というように、文字どおり美人の代名詞といったところだろうか。
その生涯は謎が多く、伝説の霧につつまれている。
小野小町(おののこまち、平安前期)

「大中臣能宣肖像」 重正画  1軸 ヌ6-9284
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。伊勢神宮の祭主の家に生まれ、30歳のとき和歌所の寄人(よりうど)「梨壷の五人」の一人となる。百人一首に「御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ」がある。
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ、921-991)

「平重衡肖像」 摸本  1軸 ヌ6-5847
平安末期の武将、平清盛の五男で、武勇に優れる。以仁王の令旨を奉じて挙兵した源頼政を宇治川に討ち、その後南都焼討、東大寺大仏殿等を焼失させた。一の谷の戦いで捕虜になり、焼討ちの報復として衆徒に処刑される。享年29歳であった。
平重衡(たいらのしげひら、1157-85)

「大臣図」 谷文晁摸本 文化六年(1809)五月
1軸 チ4-1023
外題には大臣図とあるが、実際には平安・鎌倉時代の摂政・関白と大臣たちを描いた肖像画集。天皇図、摂政・関白図とともに3巻で構成されるものが有名であるが、館蔵本はこの大臣図のみ。みな一様に直衣に身を包み、同じような顔に描かれている。描いている画家にはその区別がつけられたのであろうか。
右大臣実朝(うだいじんさねとも、1192−1219)

「藤原為家肖像」 摸本  1軸 ヌ6-5846
藤原定家の嫡男。若い頃は歌道に熱心でなく、定家の日記『明月記』には「天下第一の体骨」と記されている。26歳で日吉社に籠り5日間で『為家卿千首』を詠む。以後歌道に入魂。父の死後、歌壇に君臨する。『続古今和歌集』を撰進した。
藤原為家(ふじわらのためいえ、1198-1275)

「宗祇法師肖像」 摸本 三条西実隆賛 1軸 ヌ6-5902
連歌の大成者として名高いが、生国は近江とも紀伊ともいわれはっきりしない。仏道修行の後、30歳で連歌に志す。応仁の乱以降、古典復興の機運に乗って連歌が流行すると、古典風雅を尊ぶ作風で第一人者となり、牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)・三条西実隆らにそれを伝えた。
宗祇(そうぎ、1421-1502)


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展示室の様子
見学の様子

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