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 俳諧における短冊は、発句をしたためるものとして人々の間に広まった。作者自身によって書かれた短冊は、その筆蹟をはじめ、俳人一人ひとりの個性を示す貴重な資料である。自筆資料がもつ躍動感や料紙の美しさなど、俳人たちがつくり出す個性あふれる世界をご鑑賞いただきたい。

» 俳諧の短冊 » 雲英文庫の短冊(準備中)

貞徳(長頭丸)句短冊 1枚
雲英文庫

 鳳凰も出よ長閑けき酉の年  長頭丸
松永貞徳(1571-1653)は、和歌・連歌・狂歌など多方面での活躍のほか、俳諧にも力を注いだ。句意は、酉年の新年に天下泰平の象徴である鳳凰も出てきてほしい、というところであろう。当時流行した大師流の書体で書かれている。

季吟句短冊 1枚
雲英文庫

 月の顔にかゝるやはぐま糸桜  季吟
歌学方として知られる北村季吟(1624-1705)だが、俳諧では貞門に属しその後宗匠として独立、『新続犬筑波集』などの俳諧撰集を刊行している。「はぐま(白熊)」はヤクの尾の毛のこと。法具である払子などに使われる。糸桜をはぐまに見立てた句である。

宗因(西翁)句短冊 1軸
文庫31 D16

 ながむとて花にもいたしくびの骨  西翁
西山宗因(1605-1682)は江戸前期の連歌師・俳人。俳諧では西翁、一幽などの号を用いることが多い。貞門俳諧に比べ自由な作風を旨とした談林俳諧の中心的人物。本資料では、桜の花を眺める優雅さと、上を向きすぎて首が痛いという俗世界との落差が楽しめる。

西鶴句短冊 1枚
雲英文庫

 鯛は花は見ぬ里も有けふの月  西鶴
『好色一代男』などの浮世草子の作者として知られる井原西鶴(1642-1693)は、俳諧では談林派に属した。今夜の名月は鯛や桜の花を見ることが出来ない所でも(平等に)見ることが出来る、ということを詠んだものである。

其角句短冊 1軸
文庫31 D45

 小坊主や松にかくれて山ざくら  其角
宝井其角(1661-1707)筆の句短冊。其角は10代で芭蕉に入門後、蕉門の中心的な存在となった。この句は『猿蓑』に収められており、そこでは「東叡山にあそぶ」と前書があることから、「小坊主」とは上野寛永寺の僧侶のことか。

兀峰句短冊 1枚
雲英文庫

 即興 綱引にしろもみかたやこちの町  兀峰
桜井兀峰(1662-1722)は蕉門の俳人。描かれている絵の通り、綱引きをしている様を詠んでいる。味方となる「しろ」とは白い犬のことか。

桃隣句短冊 1枚
雲英文庫

 水無月や人の来ぬ間は丸裸  桃隣
天野桃隣(?-1719)は伊賀上野出身で、芭蕉の血縁者と言われている。「水無月」は旧暦の6月で夏の盛りである。人が来ない間くらいは丸裸になって暑さをしのぎたい、という意である。

几董句短冊 1枚
雲英文庫

 埒もなきおどろが中の野梅哉  几董
高井几董(1741-1789)は江戸中期の俳人。蕪村の下で俳諧の中興期を支えた。また、其角に傾倒しその書風を模したと言われている。双方の短冊を見比べていただきたい。草木が乱雑に生い茂る中に咲く野梅の美しさを詠んだ句である。

一茶句短冊 1枚
雲英文庫

 つく ゛/\と鴫我を見る夕べかな  一茶
小林一茶(1763-1827)の句短冊。鴫の眼に自分はどう映っているのだろうか。自然の事物を題材にとりあげながら、人に焦点をあてて詠んだ句である。鴫を詠んだものは多いが、このように視点を反転させて詠むのは、一茶ならではであろう。