漂流 -- 異界を見た人たち -- 早稲田大学図書館企画展 [目次に戻る]
 
 
 其の三:大黒屋光太夫ロシアへ
 
-- 神昌丸(伊勢)駿河沖より漂流、アリューシャン列島に漂着 --
 
(1782,天明2年)
 

 天明2年(1782)12月、伊勢国白子村の船神昌丸が駿河沖で大風に遭遇して漂流をはじめ、翌年7月、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着する。その後、船頭大黒屋光太夫を中心とした乗組員たちは、8年余をロシアで過ごし、寛政3年(1791)首都ペテルブルグで女帝エカチェリナに謁見、翌年遣日使節のラクスマンに伴われて帰国した。


拡大
No.3 漂民御覧之記
請求記号:ル2 1367
桂川甫周撰 寛政5年(1793) 写本 1冊  



拡大

拡大

拡大
No.4 漂民御覧之記
請求記号:ル2 3392
桂川甫周撰 寛政5年(1793) 写本 1冊
 
 
 帰国した船頭・光太夫と水手(かこ)・磯吉は、時の将軍家斉の前で数々の尋問を受けた。本書はその際に列席した蘭学者桂川甫周がまとめた問答集。多数の写本が現存するが、展示した館蔵本は、巻頭に吹上御苑での尋問の見取り図と光太夫、磯吉の肖像が比較的丁寧に描かれている。


拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大
No.5 奇観録
請求記号:ル2 3089
桂川甫周撰 亀井南冥漢訳 寛政6年(1794)12月 1冊
 漂民御覧記(3,4)を福岡藩の儒学者・亀井南冥が漢訳したもの。亀井は天明4年(1784)、福岡志賀島で発見された「漢倭奴国王」金印の調査にあたったことでも有名。


拡大

拡大

拡大
No.6 北槎聞略付図(ほくさぶんりゃくふず)
請求記号:文庫8 J21
桂川甫周撰 寛政6年(1794) 紙本彩色 2巻
 『北槎聞略』は桂川甫周が、光太夫からの聞書きをもとに蘭書中のロシア関係記事を加え、体系的に編集したもので、本図巻はその付図。衣服、什器の2巻からなり、当時の人々の異国に対する興味がどのあたりにあったのかがうかがえる。


拡大
No.7 光太夫と露人蝦夷ネモロ滞居之図
請求記号:リ5 9317
隆啓模 寛政5年(1793)紙本彩色 1巻
 光太夫らが、ロシア使節ラクスマンに伴われ8年ぶりに日本へ帰国、ネモロ(根室)に到着したときの様子。松前藩士から借覧して模写されたものという。


拡大

拡大
No.8 大黒屋光太夫将来露国教科書
請求記号:KA 1701
1冊
 エカチェリナ2世の勅令により刊行された18世紀学制改革期のロシア国民学校(小学校)用の算数の教科書。光太夫がロシアから持ち帰った現物である。


拡大

拡大
No.9 大黒屋光太夫露文色紙
請求記号:文庫8 C141(8,9)
2枚
 光太夫が書いたロシア文字の手蹟。ロシア文字で日本語をあらわしたもので、「行く末は誰が肌触れむ紅の花 大光」「亀 長寿の嘉瑞なれ 伊勢大光」と読める。


拡大
No.10 芝蘭堂新元会図(しらんどうしんげんかいず)
請求記号:文庫8 A224
市川岳山画 諸家賛 紙本彩色
重要文化財 1軸
 大槻玄沢の私塾「芝蘭堂」に集まって、わが国で最初の西暦による新年を祝った蘭学者たちを描いたもの。いわゆる「おらんだ正月」の図である。時は寛政6年閏11月11日、西暦1795年元日のことであった。画面中央の大テーブルの右上あたりでロシア文字を指し示しているのが光太夫だといわれている。


拡大

拡大
No.11 魯西亜船東蝦夷来航図(ろしあせんひがしえぞらいこうず)
請求記号:リ5 9318
紙本彩色 1巻
 江戸時代末期、開国・通商を求めて数度にわたってロシアからの使節が日本を訪れた。本図巻には使節来航時の港の様子と、ラクスマンをはじめ各使節の旗艦が描かれている。


拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大
No.12 魯斉亜漂流問答
漂流人磯吉問答書
寛政9年頃(1797) 1冊
 『漂民御覧之記』が光太夫への尋問の問答集だったのに対し、本書は磯吉への問答書。光太夫は、故郷に戻ることはできなかったが、磯吉は赦されて一時帰郷している。本書の編者はその際に磯吉から話を聞こうとしたと序文にある。


[目次に戻る]
WASEDA UNIVERSITY LIBRARY