西垣武一氏と西垣文庫について

 早稲田大学図書館が所蔵する特殊コレクションのうち、新聞、ジャー ナりズムと広告、宣伝に関する資料を集めた西垣文庫は、故西垣武一氏 の旧蔵にかかるものである。
 西垣氏は、明治三四年に大阪に生れ、のち岩手県に移り、遠野中学を 卒業し、早稲田大学政治経済学部に学んだ。昭和二年経済学科を卒業、 旧報知新聞社を経て博報堂に入り、広告業務を主として担当された。戦 後昭和二一年、自ら広告代理店三栄広告社を設立、四二年春逝去される まで社長として活躍、戦前戦後をつうじて広告界の第一線にあった人で ある。
 また早くからジャーナリズムに関心を持ち、戦前既にかなりの新聞お よび関連の文献を蒐集、所蔵されていたが、戦火にあいこれを失った。 広告会社の仕事が軌道に乗るとまた蒐集をはじめられ、これをもとに、 昭和三三年に日本新聞資料協会を創立し、研究者の連絡と協力促進をは かられた。
 幕末から明治、大正、昭和を通じて時代の流れを忠実に報道した一葉 一片の資料の散佚と消滅を憂い、志をひとつにする同攻の士に協力を呼 びかける辞を、西垣氏は会長として協会の機関誌月刊『新聞資料』創刊 号(昭和三四年一月)に寄せられている。
 『新聞資料』は、その後ジャーナリズム関係資料発掘と紹介を精力的 におこなったが、氏の急逝で協会の活動がやむとともに、一〇一号をも って刊行を中止した。
 西垣氏は全国の古書店のカタログを見ては、電話で注文をするほか、 必要とあらば自ら大阪、九州にまで足をのばす熱心さであったという。 大阪の古書肆で、店主が紳士と西垣氏の噂話をしていたら、「それは僕だ よ」といわれてびっくりしたというエピソードがある。
 西垣氏の逝去の翌年、静枝夫人より当時の早稲田大学総長阿部賢一先 生の仲介で、全資料が早稲田大学図書館に寄贈された。西垣氏は、生前 より母校にコレクションを寄贈されることを望んでおられたのである。
 早稲田大学図書館では、これに西垣氏の名を冠し西垣文庫として一括 整理保存し、利用に供することとした。文庫に収める資料点数は、全て 一二、○○○、内訳は図書六、七一二冊、雑誌五七七誌、新聞一二九種、 錦絵、引札等の一枚摺四、七九二点、貼込帖等九四部、江戸期のものも 含む看板実物、巻軸物六五点である。
 詳しくは、咋年刊行された『西垣文庫目録』(早稲田大学図書館文庫目 録第一一輯 昭和六一・六)に譲らざるをえないが、概略すれば次のと おりである。
 新聞関係は、草創期の新聞実物、新聞、マスコミ論、編集実務、新聞 社社史を含む新聞・ジャーナリズム史、新聞人の伝記、著作および書簡 等の自筆資料などである。
 広告・宣伝類も、理論から実際の看板、引札、絵びら、チラシ、マッ チのレッテルに至るまで多種にわたっている。
 もう一つの特徴は、社会風俗に関する資料群である。西垣氏が事務所 を置いた銀座に関するものをはじめ浅草ものなどの東京地理風俗、震災 もの、料理、酒、煙草に関する図書と資料である。
 西坦文庫は、新聞、ジャーナリズムを中核としつつも、社会風俗全般 にわたる幅広い資料群である。文献資料のみでなく、実物資料を含むと ころにも特色があり、「西垣博物館」とも称される由縁である。今回の企 画は、報道、広告メディアという範囲でのものであるが、西垣文庫全体 の一部の紹介でしかない。
 その他の関連分野も含め、広範囲の研究者にこの文庫が活用されるこ とが望まれる。またそれが、西坦氏とご遺族、西垣氏に協力して下さっ た多くの方々にとっても冀望するところであろう。

(以上、図録「幕末明治のメディア展」103ページより転写)

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