ふみくら:早稲田大学図書館報No.15(1988.11.5) p.16

館蔵特殊コレクション摘報7(1)

中村進午文庫



印
  1. 分 類 文庫5

  2. 収蔵数 1,598部 8,396冊

  3. 目録等
    印刷目録:なし
    その他:和漢書書名目録(カード)

  4. 収蔵(設置)年とその経緯
    本館収蔵昭和32年11月
    国際法学者中村進午博士の旧蔵書中、専門外の和書約8,000冊が没後間もない昭和15年1月、遺族中村本夫氏より法学部研究室に寄贈された。これは博士が明治43年から約10年法科科長を勤めたのをはじめ、没するまで本学教授として国際法を講じていたところから、愛弟子一又正雄教授等の尽力により寄贈されたものではないかと考えられるが、関係者が皆故人となった現在、詳しい事情は不明である。後、昭和32年11月図書館に移管された。参照:早稲田学報540号、542号昭和15年2、4月故中村進午博士記念図書目録早稲田大学法学部研究室

  5. 収書の特徴
    国際法学者として著名な博士の専門外の収書。江戸時代後期の刊本中、雑纂・図会・読本・実録の類を中心に、宗教・歴史等多方面にわたる。

  6. 収書者
    中村進午:新潟県生。明治3年(1870)7月21日生、昭和14年(1939)10月21日没。国際法学者。東京商科大学(一橋大学)名誉教授。拓殖大学学監。早稲田大学教授。第一高等学校より東京帝国大学法科大学に進み、明治27年首席で卒業。直ちに大学院入学。明治30年1月学習院教授になると同時に、32年9月まで国際法並びに泰西外交史研究のためドイツ 及びイギリスに留学。34年法学博士となる。日露戦争の際強硬論を主張、所謂「七博士事件」をおこし、明治38年9月にはポーツマス条約批准反対上奏の責を負って教職を辞任、千葉県下に閑居したが、明治39年東京高等商業学校(後の東京商科大学・現一橋大学)教授に復帰。昭和5年同校名誉教授となった。この他拓殖大学の創設に関係し、40年間教鞭をとり、学監になるなど、その発展に尽した。早稲田大学においても明治43年2月から大正9年4月まで法科科長を勤め、死去まで教授として弟子の育成に努めた。他にも慶応・日大・中央・明治・日本女子大等々多数の大学で講座を担当した。はじめ憲法を志したが、当時の時局に感ずる処あり、国際法に転じ、後我国国際法学創立の一人としてその権威となった。また、清廉硬骨の人で、夫人は日本銀行総裁三島弥太郎子爵の令妹であったが、権門の庇護を避けるためか、年始にも夫人を実家へやらなかったという。が反面趣味豊かな通人であり、講義も巧みな諧謔で人を笑わせ、名講義であったという。初代図書館長市島春城とは長い交遊があり、「春城日誌」にも屡々その名がみえる。著書に「講和類例」「新条約論」「国際公法論」「国際法」(訳書・原著者:F.von Martens)等の学術書の他に「蛙のはらわた」「天に口なし」等の随筆がある。※なお博士の旧蔵書中、国際法を中心とした専門分野の洋書140冊余りが一橋大学に、和漢書の洋装本と洋書の一部、あわせて1,200冊余りが拓殖大学に寄贈されている。拓殖大学では、「中村文庫分類目録」(拓殖大学図書館蔵書目録第3輯昭和44年)を刊行している。


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