歌川国貞(初代・17861864)

本姓を角田、名を庄蔵といい、初代歌川豊国の門人となり、国貞(初代)と称した。のちに師の名跡を継ぎ豊国(3代)を名乗るが、他にも五渡亭、一雄斎、一陽斎、香蝶楼等多くの号を用いた。美人画、役者絵、風景画等の浮世絵を数多く残し、晩年まで歌川派の中心として活躍した。合巻や読本の挿絵でも好評を博し、柳亭種彦「正本製(しょうほんじたて)」、滝沢馬琴「玉石童子訓(ぎょくせきどうじくん)」などがあるが、なんといっても柳亭種彦「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」は、内容の面白さに加え、豊国の挿絵が人気を支えていたともいえる。その挿絵から生まれたのが主人公足利光氏や登場する女性たちを中心に鮮やかに描いた錦絵である。「源氏絵」と称されるこれらの錦絵は、それまでの役者絵や美人画などとも異なる浮世絵の新たなジャンルとも言われ、豊国の代表作となると同時に、以後の絵師たちによっても数多く描かれることとなる。







歌川国貞(2代・18231880)

幕末から明治にかけて活躍した絵師。はじめ国政を名乗るが初代国貞(3代豊国)の娘婿となり国貞の名を継ぎ、さらに豊国の名も継ぐことになる(4代豊国)。梅蝶楼、一寿斎などの号がある。版本の挿絵や役者絵、さらには滝沢馬琴「南総里見八犬伝」に想を得た「八犬伝犬の草紙」は、物語の登場人物を役者絵風に描いたもので、50図に及ぶ大判の錦絵の揃物として有名。先代ほどではないが、源氏絵も多く残している。