曲亭馬琴の世界
馬琴の生涯
西暦 和暦 年齢 事項
1767 明和4 1 6月9日 旗本松平信成の用人滝沢興義の五男として生まれる。
1787 天明8 22 松平定信老中となる(寛政の改革 -1793)
1790 寛政2 24 山東京伝に入門。以後さかんに交流。
1791 寛政3 25 京伝門人大栄山人名義で処女作『尽用而二分狂言』刊行。
手鎖50日の刑を受けた京伝に代り黄表紙のいくつかを代作。
1792 寛政4 26 京伝を仲介として書肆耕書堂蔦屋重三郎の番頭となる。
1796 寛政8 30 耕書堂より初の読本『高尾船字文』刊行。
1797 寛政9 31 長男鎮五郎(興継,のち宗伯)生まれる。
蔦屋重三郎没。
1801 享和元 35 黄表紙『曲亭一風京伝張』
1802 享和2 36 京坂に遊歴、作家として飛躍の機を得る。
紀行「羇旅漫録」
1803 享和3 37 羅文の遺志を継ぎ『俳諧歳時記』を刊行。
1804 文化元 38 雑録「著作堂雑記」を起筆、晩年まで書き継ぐ。
1805 文化2 39 『月氷奇縁』 読本作者としての活動本格化。
1807 文化4 41 読本『椿説弓張月』(-1811)
1808 文化5 42 読本『松浦佐用媛石魂録』(-1828)
読本『俊寛僧都嶋物語』
読本『三七全伝南柯夢』
殿村精吉(檪亭琴魚)初めて馬琴を訪問。
1809 文化6 43 上田秋成没。
1810 文化7 44 読本『夢想兵衛胡蝶物語』
読本 『昔語質屋庫』
1811 文化8 45 随筆『燕石雑誌』
1812 文化9 46 読本『占夢南柯後記』
1814 文化11 48 読本『南総里見八犬伝』(-1842) 稿本 刊本
1816 文化13 50 山東京伝没。
1818 文政元 52 随筆『玄同放言』(-1820)
『犬夷評判記』(三枝園評,馬琴答)
1822 文政5 56 家記「吾仏の記」(-1843)
式亭三馬没。
1823 文政6 57 大田南畝没。
1824 文政7 58 合巻『殺生石後日怪談』
号を笠翁と改め剃髪。
1825 文政8 59 合巻『傾城水滸伝』(-1835)
1829 文政11 63 読本『近世説美少年録』(-1834)
殿村篠斎(三枝園)の紹介で小津桂窓と対面。
1831 天保2 65 合巻『新編金瓶梅』(-1847) 稿本 刊本
十返舎一九・殿村精吉没。
1832 天保3 66 読本『開巻驚奇侠客伝』(-1835)
1833 天保4 67 評伝「近世物之本江戸作者部類」(-1834)
右眼の不調顕著となる。
1835 天保6 69 宗伯没。宗伯の行状・遺稿集「後の為の記」
1837 天保8 71 大塩平八郎の乱
1839 天保10 73 「稗史外題鑑批評」 (木村黙老撰,馬琴答評)
視力が急激に衰える。
1840 天保11 74 この年以降稿本や書簡は宗伯の妻路が代筆する
1841 天保12 75 天保の改革(-1843)
石川畳翠没。渡辺崋山自刃。
1842 天保13 76 出版統制強化、柳亭種彦・為永春水ら処罰される。
1843 天保14 77 為永春水没。
1845 弘化2 79 読本『玉石童子訓』(-1847) 稿本 刊本
1847 弘化4 81 合巻『女郎花五色石台』(-1864) 稿本 刊本
殿村篠斎没。
1848 嘉永元 82 11月6日没。江戸小石川の深光寺に葬る。