2014春LibraryWeek「読んでみよう!この1冊」(所沢図書館) : 推薦図書一覧

2014年4月11日作成

人間科学学術院

今泉 和彦  教授
自省録 / マルクス・アウレーリウス [著]
岩波書店, 2007.2
 本書に出会ったのは早稲田大学に入学して初めての夏休みでした。夏休み前の7月中旬、房総・館山の北条海岸で遠泳実習がありましたが、この実習中にクラスの友人の中で読書の話題がたくさん出ました。その当時の私は、夏休みに人生の指針となるような本を是非読みたいと考えていましたが、この実習を通して文武両道を目指す友人が沢山いたことを今でも誇りに思っています。その後はこれらの友人と共に読んだ本を話題にすることが増えました。今から約半世紀前のことです。
 さてこの本の著書のマルクス・アウレーリウス(121‐180)は約1,900年前に活躍したローマの皇帝であり、哲人(ストア派)でした。その当時のローマは北方や東方から多くの民族の侵入や叛乱が絶えることなく続いていましたが、アウレーリウスは幾多の戦乱の中で東奔西走して与えられた職務を遂行し、自らの理想とする社会を実現しようと心を砕いて過ごしました。アウレーリウスはこれらの戦乱の中にあっても、僅かに得られた孤独の時間に自らを深く省察し、日常の行動や考え方などを点検していたことを本書を通してよく理解できました。アウレーリウスはこのような暫しの瞑想の中でストアの教えによって新たなる力を得ていたこともよく理解できました。私はこの本をこの50年の間に幾度となく読んできましたが、本書に示されている教えに共感すると共にアウレーリウスの人間性に鞭打たれる思いを抱いたことは数限りなくあります。また、本書を読んだ後は私に多くの勇気と希望を与え、よりよく生きようとどれだけ励まされたか枚挙に遑がありません。また、アウレーリウスが本書で記載した考えを是非見習いと思ってこの50年間を過ごしてきました。本書が学生の皆さんの心に強く響くことを期待しています。

臼井 恒夫  教授
ディスタンクシオン : 社会的判断力批判. 1・2 / ピエール・ブルデュー [著] ; 石井洋二郎 訳
藤原書店, 1990.4
 本書においてフランスの社会学者P.ブルデューは、文化のもつ差異性について鋭い問題提起を行っている。文化と階層の関係の解明に取り組んだブルデューは、その関係を形成する要因として「文化資本」の概念に着目したうえで、文化資本を具体的な3つの資本、すなわち「客体化された文化資本」(書物・絵画・道具など)、「制度化された文化資本」(学歴や資格など)、「身体化された文化資本」(教養・趣味・感性・振る舞いなど)に分類している。
 このような文化資本が社会のなかで駆動することを通じて、親から子への世代間において、また当人の生涯において、階層的地位や職業的地位の再生産が可能となることを「文化的再生産」と呼んでいる。それは、お金(経済資本)をもっていることが社会環境の形成に有利に働くという単純な事実だけではなく、言葉の使い方、ものの見方や立ち居振る舞いなど、本人の意識的な制御なしに機能する習慣、すなわち「ハビトゥス」(habitus)が上層や中流上層の維持や再生産に有利に働いていることを示している。
 ブルデューは、本書とその後に著された著書を通じて、広義の文化の領域においてハビトゥス─プラティック論を展開することによって、「文化批判の社会学」への道筋を示したといえる。本書をはじめとしてブルデューの著書の多くが邦訳されているので、現代社会の不平等や格差の問題に関心をもつ人は本書から読みはじめてみることをお勧めする。
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柏 雅之  教授
内村鑑三信仰著作全集. 1
教文館, 1962.1
 キリストによる救いとは何か?なぜキリスト者も理不尽な苦しみに懊悩しなければならぬのか? 内村はこの問いと全力で格闘した。この本は、キリスト者として生きる人生とはかくも厳しいもので、しかしその涙の向こうには神から与えられる確たる平安と永遠への希望が備えられていることを教えてくれる。
不敬事件後の困難な中を献身的に支えてくれた妻の病死を悲しむ内村の次の文章は胸を打つ。
「神もし神ならば、何ゆえに世の祈祷を聞かざりしや。神は自然の法則に勝つあたわざるか。あるいは祈祷は無益なるものか。あるいは余の祈祷に熱心足らなざりしか。あるいは余の罪深きがゆえに聞かざりしか。」
こうした内村に神はどのように救いを用意されたのか?どのように平安、喜び、感謝の心を与えられたのか?
人は、自分がどこから来て、どこへ行くのか知らない。全ての人はおのれの死という究極の不条理を背負っている。「日常性の中への埋没(ハイデカー)」によって忘れることはできても、その存在は揺るがない。
キリストによる救いについて、この世の不条理について、内村の人生は大きなものを教えてくれる。
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可部 明克  教授
ホントにすごい!日本の科学技術図鑑 : 未来を変える驚異の先端科学技術を紹介 : 宇宙開発/ロボット技術/次世代エネルギー/最先端医療etc / 川口友万 監修
双葉社, 2014.2
 日本発の技術やビジネスには、世界のイノベーションを牽引する要素技術やアイデアがたくさんあります。 これまでの成長期を支えた技術・産業は、各国の最先端技術で作られた製品に負けまいと、先輩達が苦労を重ねて習得して築き上げたものです。
 最近のイノベーションを牽引するものはシリコンバレーや海外から多く出ていますが、実際にシリコンバレーに行ってみると、自分で仕事を創るタイプの人々が集まる土地柄も影響していると実感します。
 日本・アジアが世界で果たす役割は大きく、イノベーションの創出とグローバルな事業展開が、これから果たしていく重要な役目の一つです。
 この本には、世界の未来を日本発で変えよう!という意気込みが詰まっています。
手にとってみて、どれか気に入った技術について、内容を把握して関連するビジネスを考えてみましょう。
 そして、自分でこうした動きに関わっていくにはどうすれば良いか、考えてみましょう。
勉強の目的がさらに明確になると思います。

 何か一つでも、面白そうなものを見つけて、読んで見ましょう!

第1章  宇宙を開拓する日本 
     「宇宙エレベーター、月面基地計画、JAXAの世界、小型人工衛星」
     月面基地計画には、日本企業が25年以上前から取り組んでいます。
第2章  ニッポンのロボット 
     「ASIMOが家にやってくる日、災害現場で活躍するロボット、社会に進出するロボット、
     サイボーグ技術最前線、工場から社会へ~これからのロボット~」 
     人科で研究開発を行っているロボットも載っています!
第3章  クルマの優しい進化 「未来の自動車、パーソナルモビリティ、次世代エネルギー自動車」 
第4章  アートする日本の科学 「メカニカルスーツ、心の自由を映し出す~ディスプレイ~、
     自然から発見する美」
第5章  日本の最先端医療 「超微細外科を実現する、医療検査、人工臓器、遺伝子操作、
     iPS細胞の可能性」
第6章  IT自衛隊 「自衛隊の超未来装備」
第7章  日本から始まるエネルギー革命 「次世代の発電技術、メタンハイドレード、
     自然エネルギー発電」
第8章  新しい日本の建築 「持続可能な未来、ドーム型住宅、家事ロボット、耐震設計」
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蔵持 不三也  教授
社会学的方法の規準 / デュルケム 著 ; 宮島喬 訳
岩波書店, 1978.6
 現代社会学の基礎を築いたフランスの社会学者エミール・デュルケームが、社会と社会的現象をどう見るか、どう考えるかを具体的に論じた書で、広く人間科学を学ぶ者にとっては基本的かつ必読の書でもある。
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嶋田 洋徳  教授
オオカミ少女はいなかった : 心理学の神話をめぐる冒険 / 鈴木光太郎 著
新曜社, 2008.9
 大学のカリキュラムを眺めていると一度は目がとまるのが「心理学」ではないだろうか。 しかし,心理学の研究は,そもそも具体的にどうやってやるのかなどと考えると,ある意 味の「胡散臭さ」を感じる人も少なくないだろう。そんな心理学の伝統的な研究に真っ向 から挑んだのが本書である。これまでの伝統的な心理学の研究知見に対して,丁寧に解説 していく展開は,専門書としてはもちろんのこと,読み物としても十分に面白い。解説の 裏づけも非常に緻密であり,おそらく心理学の専門家にもあまり知られていないであろう ことにも言及が多い。なお,副題につけられている「神話」は,本書の著者は「科学的で はない知見」という否定的な意味で用いている。人間を心理学の観点から科学的に解明し てみることに興味がある人はもちろんのこと,あまり興味がない人にも一読してほしい良 書である。もし,神話をめぐる冒険の観点が身についたら,心理学関連の授業の聞こえ方 も変わるかもしれません。
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鈴木 晶夫  教授
凡才の集団は孤高の天才に勝る : 「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア / キース・ソーヤー 著 ; 金子宣子 訳
ダイヤモンド社, 2009.3
 「イノベーション」という言葉をよく耳にするこの頃です。即興的なイノベーションは、グループ全体が「グループ・フロー」の状態に入った時に生まれやすいと言われます。この「グループ・フロー」とは、心理学者のチクセントミハイが注目した「フロー(至高体験)」が集団で起きる状態を指しています。そして「フロー状態」とは、何らかの活動に熱中し、時間の経過にも気づかないような状態のことです。あなたも体験したことがあるのではないでしょうか。
 大学でこれからたくさんの「勉強」をすると思いますが、その勉強の成果を、社会に還元する際に、創造的な仕事を求められることが多い早稲田大学の卒業生です(もちろん、在学中でも結構です)。その卒業生(在学生も)の中には、天才・秀才がたくさんいます。しかし、天才・秀才だけが創造的な仕事をしているわけではありません。凡才も凡才なりにその「凡才力」を活用し、「コラボレーションがもつ創造的な力」について考えてみる機会にしてみてはいかがでしょうか。
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谷川 章雄  教授
忘れられた日本人 / 宮本常一 著
岩波書店, 1984.5
 宮本常一は民俗学者である。明治40年(1907)に瀬戸内海の周防大島に生まれた。大阪府立天王寺師範学校卒業後小学校の教員になるが、昭和10年代から渋沢敬三のアチック・ミューゼアムに所属し、本格的に民俗学の調査・研究を行うようになる。宮本は、昭和56年(1981)に亡くなるまで、日本中を旅した不世出のフィールドワーカーであった。
 『忘れられた日本人』は、昭和35年(1960)に刊行され、宮本常一はこの中で村に住む人々とその生活の世界を生き生きと描いている。「村社会」という言葉が端的に示しているように、戦後民主主義社会の中で日本の村は否定的に語られることが多い。しかしながら、本書に描かれた村の世界は暗く封建的なものではなく、むしろ人々の生活は明るく開放的で多様性に富んでいるように見える。
 本書の中の「村の寄りあい」では、決して無理せずにみんなが納得する結論に到達するまで、時間をかけて話し合いが行われる様子が描かれる。「世間師」では、若い頃に村の外へ出て奔放な生活を送った者を村人は世間師と呼び、一目置いていたことが語られている。また、土佐梼原の盲目の乞食が語った話「土佐源氏」は、その男が博労であった頃の生活を語ったものである。その内容は衝撃的ですらある。 本書は日本の村を知る本である。みなさんに一読することを薦めたい。
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千葉 卓哉  教授
進化医学 : 人への進化が生んだ疾患 / 井村裕夫 著
羊土社, 2013.1
生活習慣病や精神疾患など、現代人が抱える多くの健康問題は、生物がヒトへと進化 する過程でゲノム(染色体に含まれている全遺伝情報)に組み込まれてきたと考え られる。それらの遺伝子は、ある病気には罹りやすくなる変化であったと言えるが、 一方で集団として生物が進化を続け、現在までヒトが生き延びるための生存戦略の 一つであったとも考えられる。最新の科学的データをもとに、ヒトが病気になる本質 に迫り、さらには老化・寿命についての進化医学的考察も加えている。近代化、情 報化が多くの疾患を引き起こすことは容易に想像がつくが、本書はさらに生命進化と いう壮大なスケールでヒトはなぜ病気になるのかについて議論している。専門用語 の多くは解説が加えられており、比較的読みやすく工夫されている。文系の学生にも、 一般教養として病気のメカニズムを知るテキストとして推薦したい。
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外山 紀子  教授
右利きのヘビ仮説 : 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 / 細将貴 著
東海大学出版会, 2012.2
 「ヘビが右利きって,ヘビにはそもそも手なんてないでしょ?」いえ,本書でいう「右利き」は手の話ではありません。
 多くの生物は左右性をもっています。左右性という概念は,ヒトの利き手のような行動の左右性だけでなく,身体構造や脳機能の左右差などを含みます。ちょうど右利きの人もいれば,左利きの人もいるように,左右性は同じ種内でも異なっており,その分布は半々の場合もあれば,一方に偏る場合もあります。
 本書で扱われている左右性は,カタツムリの巻きの方向性です。カタツムリの多くは右巻きなのに,南西諸島には左巻きのカタツムリが多く存在する,それはなぜなのか?学部生だった著者は,この謎に対して,ひとつの仮説を思いつきます。これは右巻き貝の補食に特化した捕食者がいるからではないか。本書では,フィールドリサーチ,ユニークな実験,観察によって,この仮説を立証していくまでの奮闘が描かれています。
 謎解きの面白さはもちろんですが,リアリティあふれる研究こぼれ話が実に面白く語られています。論文が不採択になったときのガックリ感,実験手法を思いついたときのワクワク感,自分の研究をサポートしてくれる人と出会ったときの感動。クスッと笑える「研究者あるある」が満載なのです。夢中になって取り組めるものがあることの素晴らしさ!
 さわやなか読後感が得られること,間違いなしです。
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永岡 慶三  教授
福翁自伝 / 福沢諭吉 著 ; 富田正文 校訂
岩波書店, 1978.10
 一万円札の肖像や慶応義塾の創始者として知られる福澤諭吉の自伝です.
 早稲田大学の創始者大隈重信とは,敵対する仲だろうという世間の期待とは逆に,考えが近く肝胆相照らす盟友どうしで,ともに明治維新前後,欧米列強の植民地化に対抗して独立を守るべく当時の日本社会を先導した教育者・思想家でした.文体は口述筆記で書かれているため,まるで学食で友達から話を聞いている感覚です.
 神罰なんて本当にあるのか疑問に思い稲荷様の神体の木の札を取って捨ててみる奔放な少年時代.破天荒と猛勉強の緒方洪庵の大阪適塾時代.江戸へ蘭学の教師として赴任しながら英語の時代を悟ると,落胆の代わりに早速英語を学び直す切換えの早さ.咸臨丸で渡米,その文明の発達に衝撃を受けその成り立ちが,進んだ知識自体よりも合理的な社会の仕組みだと気付く.明治期の激動の中を暗殺の恐れを常に感じながら,夜通しで知人と酒を飲み通したため暗殺者があきらめたというホントかいなと思える逸話.イギリスで政敵どうしの議員が激論しながら,食事をともにし酒を酌み交わすのを見て「これがわからない.さっぱりわからない」と言い,最後に「ソレを見たことが今回の一番の収穫でした」と感想をいう.
 本人曰く「艱難辛苦も過ぎてしまえばなんともない」人生を見れば,誰でも,深刻にならずクヨクヨせずに行けばいいのだと安心すること請け合いの一冊です.
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西村 昭治  教授
厄除け詩集 / 井伏鱒二 [著]
講談社, 1994.4
少なくとも昭和生まれの世代なら誰でも知っているこのフレーズは我々の先輩である井伏鱒二によるものであることは意外と知られていない。
このフレーズは唐の詩人である于武陵の五言絶句「勧酒」の後半

花発多風雨
人生足別離

を井伏流に訳したもので、「厄除け詩集」に収録されている。于武陵は日本の桜を見てはいないであろうが、ハナニアラシといえば桜の花を散らしてしまう恨めしい嵐を我々日本に住む者は思い起こさずにはいられない。また、三月末に年度が換わる日本では桜のころは別れの季節である。既にこの文章が君たちの目に触れる時期にはその桜もとっくに散ってしまっているであろうが、目をつぶればこの二行が表す光景が目に浮かぶことであろう。

最初の二行はあえてここに記すことはしない。是非「厄除け詩集」を手にとって欲しい。しかし、井伏が発見し、我々の心に日本の言葉として刻む情景を思い起こせば、このような別れは有っていいことだし、人との別れ方はこの詩の様にありたいと願う。この訳詩を含む「厄除け詩集」、正にお守りとして、常に私とともにある。

全くの余談ではあるが、井伏の「厄除け詩集」にはこの「勧酒」の他、漢詩十七篇が収録されている。この訳詞に関しては、江戸時代のタネ本「臼挽歌」があったことが知られているが、この「勧酒」については、井伏のオリジナルと言って良いだろう。こういったことを調べることもまた愉快である。関連して滝口明祥著「井伏鱒二と「ちぐはぐ」な近代―漂流するアクチュアリティ」の一読も勧む。
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根ケ山 光一  教授
マザー・ネイチャー : 「母親」はいかにヒトを進化させたか. 上・下 / サラ・ブラファー・ハーディー 著 ; 塩原通緒 訳
早川書房, 2005.5
本書は,ハヌマンラングールという霊長類の「子殺し」の研究で名を馳せた人類学者が,その研究をふまえて,ヒトの子育てや母子について社会生物学の立場から考察したものです。ハヌマンラングールは東南アジアに単雄複雌の集団をつ くってすむサルですが,子殺しとはその群れの雄に新旧交替が起こった直後に,群れ内の前の雄の子どもが新しい雄によって次々殺戮されるという特異な現象で す。その子どもの母親はなぜ身を挺して我が子を守り通さないのかという問いから,母親というものは子どもに単に奉仕するだけの存在ではなく,それ自身の戦 略にしたがって主体的にしたたかに生きる存在であるという主張が随所になされています。社会生物学は,子育ての中で母親とその子どもが利害の対立する位相をもつということを教えてくれてい ますが,この本は豊かな人類学的知見をベースにして,それを見事に説得的に描いてくれています。日本はともすると母親の奉仕的な愛情を崇高なものと考える 傾向があり,それがしばしば女性の人生を圧迫したり子育てを難しくしたりもします。そういう風土にあって,若い人がこの本の主張の真意を深く読み取ること には大きな意義があると思い,推薦します。
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野嶋 栄一郎  教授
チボー家の人々. 1-5 / ロジェ・マルタン・デュ・ガール [著] ; 山内義雄 訳
白水社, 1980
学園紛争のまっただなかにいて、修士論文を書きながら、第一次世界大戦という歴史的な流れを背景に描き切った、骨太な青春小説に感銘を受けたものでした。
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古山 宣洋  教授
ダンゴムシに心はあるのか : 新しい心の科学 / 森山徹 著
PHP研究所, 2011.4
 森山さんがダンゴムシ研究を始めるまで、動物行動学の分野でも、ダンゴムシは単純で、機械的な反応しかしないと考えられていました。ダンゴムシに心があるかなんて問いは、誰も考えてみようとさえしませんでした。情報を1箇所に集め、行動の計画を立てて指令を出す大脳がないからです。そのような意見が大勢を占めるなか、森山さんはさまざまな実験を通して、ダンゴムシをある意味ピンチな状況に追い込み、それでも機械的な反応しか示さないのか確かめてみた。すると・・・この後は是非本書を手に取って読んでみてください。森山さんの飽くなき探究心、あの手この手と繰り出される実験方法、そしてじっくりと腰を据えて一つのことを考えぬく姿勢に心を打たれます。
 学部生、院生、教員すべての皆さんにお薦めする一冊です!
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宮崎 清孝  教授
日本語が亡びるとき : 英語の世紀の中で / 水村美苗 著
筑摩書房, 2008.10
 本書に述べられている主張をすごく粗くいってしまうとこうなる。「日本語はこれからもう、世界で通用する知を担う言葉ではなくなる。考える人は、日本人でも英語で表現するようになる。結果として日本語は、世界の大きな知的発展から取り残されたローカルな言葉になる。」このことは自然科学の領域ではもう常識だが、自然科学は日常の生活との距離が大きく、いわば特殊な世界の出来事ともいえた。だがこれからは社会科学、人文科学、いや、文学でもそうなっていく。となると学問だけでない、普通の人たちにも関わることになってくる。学問以外のところでも、これまで多くの人たちがいろいろな知的な仕事を日本の文化の中で積み上げてきた。日本語が知を担う言葉でなくなる、ということは、単に日本人の仕事が世界に出ていかないということだけではない(それは現状でもそうだ)。日本の中でも、知的な思考は英語でおこなわれるようになるので、これまでの日本文化の蓄積が、消え去ってしまうということなのだ。こういう危機感は筆者だけのものではないが、多くの日本人はまったく気がついていないようにみえる。学生の皆さんに、是非その実感をすこしでも感じてほしいと思い、本書を薦める。もう一言。ここから「だから英語をもっと勉強しろ」ということになるかというと、実はそう単純な話ではない。ではどうすればいいのか? それは本書を読んでみて。
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宮崎 正己  教授
笑いを科学する : ユーモア・サイエンスへの招待 / 木村洋二 編
新曜社, 2010.1
この本は、笑顔を客観的に、捉えた内容を何人かの先生により、書かれたものです。
笑顔は、人を癒すことが可能です。
この本を読んで、笑顔について知識を深めてください。
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村上 公子  教授
ナチス・ドイツ : ある近代の社会史 ナチ支配下の「ふつうの人びと」の日常 / デートレフ・ポイカート 著 ; 木村靖二,山本秀行 訳
三元社, 2005.9
「内向き」志向が定着したように思われる現代の日本にあっても、ナチス・ドイツへの関心は消滅していないようだ。先日の、『アンネの日記』等のホロコースト関連書籍破壊事件も、歪んだ形でではあるが、ナチス・ドイツ期への関心の存在を示している。
 しかし、では、ナチス・ドイツというのはどんな時代、どんな社会だったのかを知ろうとすると、なかなか難しい。ある国の特定の時代を切り取り、その特徴を記述することは、実のところ、その記述者本人がその時代、その国をどのように把握しているかの反映に他ならない。もちろん、データとしての「歴史的事実」なるものは厳として存在はするのだが、しかし、それは殆ど無数の事実の海である。その中で、どの事実に着目するか、事実と事実の間にどのような繋がりを見るか、見ないか。その選択により、記述は当然大きく異なってくる。
 本書、ポイカート著『ナチス・ドイツ ある近代の社会史』は、現代の私たちが共感を持てる形でナチス・ドイツ期の記述を提供してくれる。ポイカートの描くナチ・ドイツは、単に、過去の外国の一時代、それも異様な(極端に言えば「狂った」)恐ろしい時代、ではない。人間の歴史そして社会の大きな流れの中で、「近代」という時代が生み出した(大変苦い)果実なのである。読む者は、ナチス・ドイツは実は現代のドイツ、ばかりか、日本とも繋がるものであることを、考えさせられることになる。
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森本 豊富  教授
紀元二千六百年 : 消費と観光のナショナリズム / ケネス・ルオフ 著 ; 木村剛久 訳
朝日新聞出版, 2010.12
 昨年2013年は、伊勢神宮の式年遷宮の年にあたり、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)は多くの参拝者でにぎわった。日米開戦前年の1940年、日本人はこぞって橿原神宮に参拝した。「初代」神武天皇が即位されたと言われている橿原神宮のある奈良県では、120万人以上の人々が皇室関連施設で勤労奉仕を行ったという。神武天皇即位から「紀元二千六百年」目にあたるのが1940年であり、本書は、その年に焦点を定めた日本研究である。
 真珠湾攻撃の前年、「贅沢は敵だ」とのスローガンの戦時体制下、当時の日本人は陰鬱な社会的空気の中で生きていたと私は思っていた。しかし、本書は、全く異なった視点から切り込んでいく。民間の消費主義は抑えられていたのではなく、むしろメディア、百貨店、鉄道会社、旅行業者などの非政府機関によって消費は煽られ、人々は「国史の物語」に夢中になり、帝国支配下の朝鮮半島や満州で旅を享受していたのだ。
 本書がさらに興味深いのは、「紀元二千六百年」と「海外同胞」、すなわち、日本人移民や植民との関係にも言及していることにある。1940年当時、ブラジルに19万人、ハワイに15万人、米国本土に11万人の日本人移民・日系人が住んでいたといわれている。「外地」としての満州には150万人以上の植民が居住していたという。「大和民族の偉大な海外発展」の先兵としての移民・植民の代表者1,400人が、同年11月4日から5日間にわたって行われた「紀元二千六百年奉祝海外同胞東京大会」に出席した。二日目には海外神社、二世の国籍・教育・結婚問題、海外同胞中央機関の設置などについても論議された。日本政府は、二世に日本の大陸政策を代弁する「架け橋」としての役割を期待していた。しかし、「帝国臣民」ではなく、アメリカやブラジルの「日系市民」である二世や帰米/帰伯二世は、その両義性の中で戦争を向かえることになる。今の日本だからこそ、皆さんに読んでもらいたい一冊である。
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加藤 茂生  専任講師
〈私〉のメタフィジックス / 永井均 著
勁草書房, 1986.9
 モノやコトはなぜ「ある」のか。社会のきまりや道徳ではない「善」とは何か。ほんとうに確実なことは何か。中学生の頃からそのような問いが頭のなかを占めていて、それらを考えずに学校の勉強をしても意味がないと思っていた。だから高校時代に、国語の教材かなにかで永井均という哲学者の文章を読んだときも、勉強するつもりではなくたんに本文を読んでみただけだったのだが、とても興味深く感じた。その文章が何だったか今では判然としない。おそらく『〈私〉のメタフィジックス』のもとになった文章ではないかと思う。そこでは、世界に私がただ一人しかいないとはどういうことかという問題が論じられており、世界のなかに存在する様々な人がそれぞれ「私」であると考えられるとしても「この私」はそれらの「私」とは決定的に違うのだということが、まるでロードローラーでアスファルトを圧し固めていくように徹底的に述べられているのであった。
 よく誤読されそうな永井均の議論が、当時の私にほんとうに正確に理解できていたかどうかはわからない。ただ自分では、たんにあたりまえの事実が書かれているかのようにするすると理解できるように思えた。そして、哲学ではこういう問題を正面切って論じてもいいのだということや、念の入った議論の仕方に強い感銘を受け、哲学の世界をとても好ましいものに感じた。
 のちに、『〈私〉のメタフィジックス』の「あとがき」に、それらに近いことが的確な言葉で示されているのを読み、感心した(もしかしたら、上記の感銘の記憶は「あとがき」の記述から影響を受けているかもしれない)。そこで永井均は、哲学書からふたつのことを学んだと書いている。ひとつは自分の漠然とした問題をうまく表現する言いまわし、もうひとつは、ひとからは馬鹿げたと思われるかもしれないことでも論じてみようとする勇気だという。なるほどと思う。本書には、それらがじゅうぶん表れている。
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スポーツ科学学術院

岡 浩一朗  教授
廃用身 / 久坂部羊 [著]
幻冬舎, 2005.4
「介護」という超高齢社会を迎えたわが国の重要課題のあり方について考えさせられます。
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金岡 恒治  教授
壬生義士伝. 上・下 / 浅田次郎 著
文藝春秋, 2000.4
文武両道を目指すアスリートは必読。今時忘れられがちな"義"についても考えさせられます。
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彼末 一之  教授
滅亡へのカウントダウン : 人口大爆発とわれわれの未来. 上・下 / アラン・ワイズマン 著 ; 鬼澤忍 訳
早川書房, 2013.12
 21世紀の現代は様々な問題に直面している。環境の破壊、地球の温暖化、異常気象、食糧不足、エネルギー危機、多様な生物の絶滅・・・。これらに共通する要因が「人口の爆発」である。今や世界の人口は70億を越え、2100年には100億に達すると言われている。この地球にはこれだけの人間を養い続けられるキャパシティはない。一方、ヒトの欲望には限りがないように見える。ねずみ講のようにいつかは破滅を招くものであることを知ってか知らずか、経済は「成長」を続けることを大前提として突き進んでいる。これからの何十年のうちに人口の爆発を制御できなければ、ヒトの(そして多くの生物種にも)未来はない。本書には、人間が子供をつくるというもっとも個人的な営みに、地球全体の運命がいかに分かちがたく結びついているかが、豊富な取材をもとに、わかりやすく述べられている。一見、絶望的に見える問題だが、そこに望みがないわけではない。これからを生きる若者たちには、先送りはできない自分たちの問題として是非目を通してもらいたい。
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川上 泰雄  教授
超ミクロ世界への挑戦 : 生物を80万倍で見る / 田中敬一 著
岩波書店, 1989.11
超高倍率の電子顕微鏡の開発秘話、というものですが、産みの苦しみ、ひょんなことからの大発見、成果が絶賛されることの感動など、研究を続けることとは何かを改めて考えさせてくれます。学部生でも理解できる内容です。
細胞内小器官やウイルス、免疫抗体などの写真も美しく、生命の神秘さを覗くことも楽しい一冊です。
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坂本 静男  教授
白い巨塔. 第1巻-第5巻 / 山崎豊子 著
新潮社, 2002.11
 私が推薦する図書は、山崎豊子著「白い巨塔」です。皆様ご存知のように、著者の山崎豊子さんは惜しいことに昨年亡くなっております。私の考えでは、ノーベル文学賞を獲得しても良い方と考えていました。「白い巨塔」以外にも、山崎豊子さんの著書の多くは「華麗なる一族」、「二つの祖国」、「大地の子」、「不毛地帯」、「沈まぬ太陽」、「運命の人」など長編小説であり、一貫して社会問題を鋭く突いた、人間味あふれた作品です。現在発行されている新刊「約束の海」が最後の著書になっています。また多くの著書が、テレビ映画化あるいは劇場映画化されており、その人気度は高いものと思われます。
 さて「白い巨塔」の主役は、言わずと知れた浪花大学医学部消化器外科医の財前五郎です。そして内科医であり、大学医学部同期の里見脩二とのコントラストによって、外科医財前五郎の生きざまを記しています。医学界、その他いかなる世界においても、誰でもその世界の中で十分に活躍したいと考えているかと思います。医師になろうと目標を定めた当初の考えは、両者の間でそれほど大きな相違はなかったように推測されます。その両者の考え方が時と共に少しずつ変化していき、財前五郎は絶大な権力を持つ医学部教授になるためにはいかなる画策をもするようになり、その反対に里見脩二は患者に対する診療を第一に考えるようになっていきます。その間に財前五郎自身の誤診に対する裁判闘争も記されており、その間のぎらぎらと脂ぎった描写が、この小説の醍醐味のようにも思えます。最後は財前五郎自身が癌を患い、最終確定診断を同期の友である里見脩二に依頼し、その結果を聞いて覚悟を決め、やり残した仕事を杞憂しながらも安らかに眠ることができたように記されています。
 この著書を読んだ後に、"大きな夢を持ち、それに向かって真摯に努力することが重要である"のだと考えるようになりました。私がこの著書を読んだ時期が医学進学課程(教養課程)1年であり、わたくしの医師像を形作った礎の著書になったように思います。
 目指す世界は各々相違しているかと思いますが、ぜひ学生の皆様に読んでもらいたい著書です。
【第1巻】
【第2巻】
【第3巻】
【第4巻】
【第5巻】
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志々田 文明  教授
武道論 / 富木謙治 著
大修館書店, 1991.11
本書の著者・富木謙治は、幼少の頃から柔道を学び、早稲田大学時代に柔道創始者・嘉納治五郎の謦咳に接し、選手として活躍した。大学院在学中には柔道と共に、合気柔術を合気道創始者・植芝盛平から学んでいる。以後、嘉納治五郎の柔術の近代化理論と方法にならって柔術、剣術、空手などを含むさまざまな武術と武道について徹底的研究し、戦前の国立大学において優れた論文を発表し、武学を講じている。

戦後は、これまでの研究を進展させて新しい柔術の乱取り法の必要性の提案をした。それは柔道のように襟・袖をつかんで接近した距離で行うのではなく、足技の届かない距離をとって行うことを基本として、当身技と関節技を中心にして闘う乱取りである。富木はそれを柔道第二乱取り法(別名合気乱取り法)と命名した。この新しい競技方式は、徒手(無手)で、当身や武器による攻撃を防御する技法を中心としている点で、柳生新陰流剣術における「無刀取り」の境地の現代化を志向したものといえる。剣術の理法の柔術への吸収である。

富木はまた、自分の研究から武道教育に掲げるべき二つの教育目標を提案している。心法としての「無心」、つまり何事にも心を惑わされない自由な心と、技法としての「無構え」、つまり臨機応変にあらゆる事態に応ずることの出来る自然な構えである。「無心・無構」は基本の技や構えの修練を経てはじめて到達される究極の目標である。それを富木は「技から道へ」と表現し、日本武道の特徴として強調している。本書との出会いは、武道を哲学することのみならず、早稲田大学の建学の精神である「進取の精神」との出会いでもある。
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土屋 純  教授
道は開ける : 決定版カーネギー : あらゆる悩みから自由になる方法 / D.カーネギー 著 ; 東条健一 訳
新潮社, 2014.2
貴重な1日1日を有意義に過ごすために、ぜひ読んでください。
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原田 宗彦  教授
日本代表がW杯で優勝する日 / 中西哲生 著
朝日新聞出版, 2013.11
 中西哲生著の「日本代表がW杯で優勝する日」は、今のサッカー日本代表の力では実現不可能なW杯優勝を可能にするためのレシピである。コーチングの専門家が書いた緻密な戦略本ではないが、元Jリーガーの中西氏が伝える具体的なビジョンは、ひょっとして優勝もありかも知れないといった、夢と希望を抱かせてくれる。6月の本番を前に、サッカー好きの新入生の皆さんに読んで欲しい1冊。
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宮内 孝知  教授
余暇と祝祭 / ヨゼフ・ピーパー [著] ; 稲垣良典 訳
講談社, 1988.12
 読んでみようこの1冊としては、小生の研究のスタートとなったヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』か、ロジェ・カイヨワの『遊 びと人間』が相応しいだろう。しかしながら両書とも大著であり、理解が難しいようだ。
 そこで人間生活の原点としての余暇を、あるいは そこで営まれるスポーツを理解する格好の書籍として本書を推薦する。
 短時間で読みきることができるし、入門書としても相応しいだろう。
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矢内 利政  教授
書名/著者名等                   
出版者,出版年                  
推薦文本文
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