*ここに展示されている資料は、2002年5月に開催された、展覧会「文人たちの手紙――にじみ出る素顔――」に出陳されたものです。

[その5]


 
 
28 竹久夢二書簡
 
西村渚山宛 明治39年(1906)4月4日 1枚  文庫14 C99
[解説]
 博文館の雑誌「中学世界」の編集主任であった西村渚山(しょざん、1878-1946)にあてた竹久夢二(1884-1934)の自筆絵ハガキ。ワットマン紙をハガキ二面大に切って一方に文をかいている。西村はいちはやく挿絵画家としての夢二の才能を見ぬき、「中学世界」に彼の最初の活躍の場を与えた。

[原文 ]
 無遠慮に御邪まいたし候。昨日/「たのしき春の一日」と題して、日記のペーヂ/は三枚をこえ候。堺様の宅にてFleed / Shmanといふ米人(多分御存じでせうが)と語り/名残おしき「さよなら」を申候。/奥様へもよろしく御伝へ下され/度候。まづは頓首  /夢二
    (葉書表)青山原宿一九一番地 西村渚山様
 


  
 
29 若山牧水書簡 
本間久雄宛 大正13年(1924)3月3日 1巻  文庫14 C57
[解説]
 漂泊の歌人若山牧水(1885-1928)が、稲門の一年後輩で親しかった「早稲田文学」編集主任の本間久雄にあてて、寄稿を頼まれたが歌ができるかどうかわからないので、かわりに妻の作品を送りますと書いている手紙。率直でやさしい牧水の人がらがよくわかる。妻とは、歌人若山喜志子(1888-1968)のこと。
[原文 ]
  御無沙汰ばかり致しをり/ます。本日はまた御手紙/難有うございました。生/憎この七日当地発、子供/連にて郷里日向の方へ/旅行することになつてゐま/すので、何彼とごたつきをり、/或は歌をよう作れぬかも/わかりませぬ。出来るだけ/は努めてみますが、万一お/送り出来なかつた際は、何/卒あしからずお赦し下さい/まし。丁度傍にゐました/妻が、ではわたしのをお送/りしてみませうかと申し/ましたが、とにかく彼女のを/お送りさせてみます。およろ/しかつたらばそれにてお間に/合せ下さいまし。旅行先/などにて出来ましたらば、小/生よりもお送り申します。/間に合ひました号にお載せ/下さらば難有う存じます。 
 右、とりあへず御返事まで/若山牧水/本間久雄様
    (封筒表)東京市小石川区雑司/ヶ谷町一四四/本間久雄様
    (封筒裏)三月三日/沼津町/上香貫/若山牧水


 
33 芥川龍之介書簡
 
香取秀真宛 大正9年(1920)12月30日 1軸  文庫14 C127
[解説]
 香取秀眞 (かとりほつま、1874-1954)は正岡子規門下の歌人であり、有名な鋳金工芸家で東京美術学校の教授でもあった。芥川龍之介(1892-1927)とは住居が同じ田端であるという関係もあって親しくしていたようで、手紙のやりとりも頻繁だったらしい。諏訪湖に滞在していた芥川から、名物の蜆(しじみ)を送ったのに添えたと思われる手紙で、ユーモラスな句が書かれ、サインは「我鬼」とある。
[原文 ]
 信州諏訪の湖の蜆少々ばかりしんじそろ
山国の蜆とゞきぬ春隣
万葉の蛤ほ句の蜆かな
襟巻のまゝ召したまへ蜆汁
臘末/我鬼拝/香取先生 侍史


 

 
 
38 横光利一書簡
 
江間章子宛 昭和22年(1947)4月6日 1通  稲門ライブラリー
[解説]
 小説家横光利一(1898-1947)最晩年の手紙。詩人江間章子(1913- )へあてたもの。横光には2人の息子(象三、佑典)がいるが、この手紙は彼らのことで世話になったことへの礼状。前年脳溢血で倒れた横光の体調はすぐれず、この年12月、その生涯を終える。
[原文 ]
(封筒表)世田谷区玉川等々力町二ノ五二四 江間章子様
(封筒裏)世田谷区北沢二ノ一四五 横光利一
(第一紙)一この度は 何ともお世話さまに/相成り まことに忝く厚く厚く/御礼申し上げます/家内も三十一日は もうぼっと/してそのまま寝ついてしまひ、三日/ばかり起きられませんでしたが/やっと昨日から起きてくれました。/心配がとけると こんなになるもの/かと私もびっくりしました。/人生は親馬鹿の一語で/尽きるとつくづく思ひました/今はこれのみにてお赦し下さい/私も何んだかぼっとして/これはをかしいぞと思って/ゐるところです。
(第二紙)私の父も私が作品を最初/発表しましたとき、慶びのあまり/その夜、脳溢血で死にましたので、/私もこれは、と実は少少気味悪く思ってゐるとこ/ろです。何んだか鉄瓶(壜)が/傍で湯気をしきりに/立ててゐますせいゐですか、頭が/ぼっとして、何卒何卒、/これにておゆるし下さい/厚く厚く御礼申し上げます、/ 横光生/江間章子様/鶯の枝うつりゆく夕ごころ


 
 
42 太宰治書簡(葉書)
 
本間久雄宛 21日 1枚  文庫14 D1038
[解説]
 無頼派の作家太宰治(1909-1948)の本間久雄宛のハガキ。本間への献呈本『ヴィヨンの妻』の中にはさまっていたもの。文中の寄贈しようとしていた本がそれであれば昭和22年のものである。太宰特有の屈折した謝意の表現が興味深い。
[原文 ]
 先生、このたびは、本当にごめいわく/を、おかけ致しました、冷汗をかい/てをります、御寛恕下さいまし、/御高著まで、いただき、どう御礼を/申し上げていいか、わからない気持ちで/ございます、私の小著お送りしたく/思ひながら、恥づかしく躊躇してをり/ます、でも、ちかく恭献させていただき/ます、御芳著の、たちばなやがほめられ/てゐると、うれしくて、ぞくぞくしました、/御奥様に、御風声のほど、お願ひ申し上げます、/敬具



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