漂流 -- 異界を見た人たち -- 早稲田大学図書館企画展 [目次に戻る]
 
 
 其の七 : ゴロヴニン事件 
 
(1811,文化8年)
 

 江戸時代後期、北辺をめぐる日露間の争いが激化、文化4年(1807)択捉(えとろふ)島の番人中川五郎治がシベリアに連行された。また国後(くなしり)、択捉両島の測量を行なっていたロシア軍艦ディアナ号の艦長ゴロヴニン以下8名のロシア人が、松前奉行に捕えられたのは文化8年(1811)のことである。文化9年(1812)、五郎治はリコルドの率いるディアナ号で帰国するが、入れ替わるように高田屋嘉兵衛らがロシアへ連行される。結局、翌年帰国を赦された嘉兵衛とリコルドの努力の結果、ゴロヴニンは釈放された。


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No.19 俄羅斯人生捕之図(おろしやじんいけどりのず)
請求記号:リ5 9315
文化8年(1811) 紙本彩色 1巻
 文化8年(1811)、捕縛され箱館に連行されるゴロヴニン(先頭のカヒイタンと記された人物)以下、ロシア人の姿を描いたもの。巻末に捕縛時の状況が記されている。


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No.20 五郎治事蹟(ごろうじじせき)
請求記号:ル2 3087
中川五郎治述 文化9年(1812)12月 写本 1冊
 択捉島会所を襲撃したロシア船によってシベリアへ連行された中川五郎治の帰国までの事蹟をまとめたもの。巻末近くに高田屋嘉兵衛捕縛の記事も収める。五郎治は彼の地で種痘の術を習得、帰国後それを実施した。


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