第1部 第6章
錦絵新聞の世界(後編)



大阪錦画日々新聞紙25号

東京日々新聞1060号


東京日々新聞322号

錦絵新聞について

 明治五年二月、東京初の日刊紙『東京日日新聞』は、戯作者の条野伝平、元貸本屋番頭の西田伝助、浮世絵師の 落合芳幾らによって創刊され、維新後の慌しい社会に新しい情報媒体として受け入れられ、急速に部数 を伸ばしていった。これに 着目したのが、錦絵の版元のひとつ、人形町 の具足屋である。芳幾らと版元の協力により、情報提供の機能と娯楽性 を兼ね備えた ユニークなメディアとして錦絵新聞が売り出されるのは明治七年七月のことである。発想・スタイルの目新しさとゴシップ主体の 性格は常に刺激を求める庶民の嗜好にあい、発売と同時に評判となり、版元の予想以上の売行きを示した。すると直ちに、これに 倣う業者が現われ、『東京日日』のライヴァル紙『郵便報知新聞』を、錦f堂が錦絵化して売り出したのを手始めに、大阪におい ても各種発行され、大いに盛行するに到ったのである。
 この成功の原因として、絵師そのものについてふれない訳にはいかない。『東京日日』の落合芳幾(1833-1904)と 『郵便報知新聞』の月岡芳年(1839-92)は、共に歌川国芳門下の兄弟弟子であり、歴史絵、残酷絵などの分野に活躍した浮世絵師 の逸材である。
 とりわけ芳幾は、写実的な技法に秀れており、生々しい題材の多い錦絵新聞に最適の画風の持ち主であった。一見、 目を蔽いたくなるような殺人事件の描写や世相、奇談の類での人物表現に従来の浮世絵の枠を越えた独自性を発揮しており、写真 も及ばないリアリティーを画面上に定着させることに成功していると言えよう。経営手腕等にも恵まれた多才故に、画業を離れた 時期があり、浮世絵師として力量に見合うだけの評価を受けていないのが惜しまれる。
 一方、芳年は明治期浮世絵界を代表する絵師として近年とみに声価の高い人物であり、研究も盛んである。若くし て浮世絵界の寵児となり、 持てる才能を存分に示したが、余りの多忙故、その生涯に度々狂気に侵された。『郵便報知』の時期は、 丁度、病より回復したばかりで、「大蘇」の号はその事情によるものだという。
 錦絵新聞ではこれ以外にも多数の絵師が活躍しているが、大阪では二代長谷川貞信や笹木芳瀧らが絵筆を揮い、 それぞれの特色を出している。
 しかしながら、この流行にも拘らず、錦絵新聞は明治十二、三年頃を境に殆ど発行されなくなる。その理由として、 自らその普及を助けた新聞そのものが本格的に流通するようになり、情報伝達の機能、特に速報性において存在理由を失ったこと や、民衆の錦絵離れなどが指摘されている。
 こうした錦絵新聞は、わが国のメディア史及び美術史上、特異な位置を占めている。その題材や表現の猥雑さから 際物視され、長らく風俗史 の片隅に埋もれたままであったが、『新聞錦絵』(小野秀雄)や『新聞錦 絵の世界』(高橋克彦)などに よって時代を描写した資料、作品として評価されるようになり、今後、一層の研究が待たれるジャンルである。

郵便報知新聞463号

大阪錦画新聞23号

東京日々新聞851号

大阪錦画新聞17号

大阪日々新聞紙13号

勧善懲悪錦画図解29号

大阪錦画日々新聞紙26号

大阪錦画日々新聞紙60号

日々新聞

日々新聞

大阪錦画新聞10号

東京各社撰抜新聞

東京日々新聞822号

東京日々新聞873号

郵便報知新聞576号

東京日々新聞697号

近世人物誌・やまと新聞333号付録


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