No.46(1994.7.11)p 13


表紙写真解説

中村俊定(1900−1984)

「中村俊定文庫」旧蔵者



    昭和59年8月、中村俊定先生が84歳でなくなられてから今年ははや10年になる。三回忌にあたる昭和61年秋に、先生の収集された1,400冊に及ぶ俳書のコレクションが館蔵に帰し、平成2年には「中村俊定文庫目録」を刊行した。その後文庫の資料を紹介する機会を得なかったが、今年10月、待望の文庫展が開催されることとなった。展示に先がけて、収集者中村俊定先生についてあらためてご紹介をしておきたい。

    俊定先生は明治33年、愛知県宝飯郡形原町(現、蒲郡市)に、商家を営む市川菊蔵の六人兄弟の五男として生まれた。3歳のとき、隣町の幡豆郡幡豆町の浄土宗西山派の僧中村俊達の養子となった。12歳で剃髪して僧籍に入り、俗名唯治(ただじ)を俊定(しゅんじょう)と改名。14歳で西山派総本山誓願寺の学僧となり、7年間を京都で過ごした。

    この時代、短歌や俳句、ドストエフスキーなどの外国文学の洗礼をうけるが、これが機縁となって、大正11年第一早稲田高等学院に入学、片上伸教授についてロシア文学を志す。のち国文学に転じ、早稲田大学文学部国文科に入学した。山口剛教授に近世文学を学び、昭和3年卒業。実業之日本社に就職したが、担当の雑誌の廃刊を機に退社、以後俳諧研究に専心した。

    「どうせあせってもろくなことはないと腹に決めて何か一生涯やっていける研究をもちたいと考えていた。そんな場合郷愁を感ずるのはやはり俳句であった。」後年の随筆に記すところによれば、当時はこのような心境であったという。

   昭和7年、関口芭蕉庵の伊藤松宇翁をたずね、以後10年近く松宇文庫の俳書の閲読・精査に取り組む一方、水口豊次郎に連句を学んだ。松宇文庫で識った荻野清とともに『大芭蕉全集』の刊行に参画、これを機に広く研究者によびかけ「俳諧研究会」を組織、戦後の昭和25年にはこれを母胎として「俳文学会」を設立、東西の研究者のまとめ役として長く会の運営に力を尽した。

    先生の俳書の収集は昭和初年より本格的に始まった。先生の研究は俳諧史の全域にわたり、したがって資料の収集もきわめて広範囲におよんだが、なかでも松江重頼、建部綾足、大島寥太の資料、芭蕉の七部集関係の資料などを熱心に収集された。これら博捜の資料を駆使した精緻な書誌的研究により、『日本古典文学大系 芭蕉句集(連句篇)』(昭和37年度文部大臣賞受賞)、『俳諧史の諸問題』『芭蕉の連句を読む』等のすぐれた成果をあげられた。

    先生は昭和17年からおよそ30年間早稲田大学に俳諧を講じられた他、大東文化大、東京女子大等にも出講、45年に定年退職後も二松学舎大等で教壇に立たれた。

    いずれの大学においても熱心に後進の育成にあたられ、ご所蔵の資料も請う者には惜しまず貸与されたという。こうしたことは、むろん先生のお人柄にもよったであろうが、若い頃関口芭蕉庵の伊藤松宇翁のもとで研鑚を積まれたご自身の経験によるところでもあったろう。

    昭和45年、先生の古稀を記念して、『近世文学論叢』が編まれた。門下の早稲田大学俳諧研究会の人々を中心に、30余篇から成る堂々たる論文集である。表紙の写真はその巻頭に掲げられたもの。少し面映げな表情の中にも先生のお喜びが窺われよう。

    先生の数々の研究を生み、多くの門下生がその恩恵をうけた「中村俊定文庫」。目録の刊行に続き、文庫展の開催によって、俊定文庫がより一層俳諧研究のために活用されることとなるなら、それを一番喜んでくださるのは俊定先生に違いない。

(大江令子記)

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