ふみくら:早稲田大学図書館報No.38(1992.12.5) p.2

飯島正先生とその蔵書

本間 暁(国内図書課長)

 図書館への寄贈される個人蔵書のなかで、近年ひとつの傾向として、ご本人がまだ健在であり、活躍している方から蔵書が寄贈される例が多くなっている。私が最近担当した寄贈図書の中でも小林正之先生(ユダヤ史関係)、杉捷夫先生(フランス語学・文学)などがそれである。これら寄贈の動機のひとつにご自身が集められた蔵書を後々散逸させたくないとの思いがあるようである。このような寄贈にあたって、先生方とお会いして、お話を伺う機会があるわけであるが、その際担当する館員が一様に感じることは、蔵書に対する愛着の深さである。例えば、一冊の本について手に入れた際のエピソードや入手先などを活き活きとお話下さる時などに、それを感じることがある。
 このような寄贈を担当する館員にとって課題となっていることが二つある。ひとつは、寄贈者による蔵書構築の個人史、収集にあたってのエピソードなどをお話しいただいて記録してはどうかということである。いまひとつは、寄贈図書のより以上の充実のためのアドヴァイスを頂く体制を作りたいということである。とくに前者については、杉先生の寄贈図書の作業をしている際、先方の協力して下さった方と、そのような話をしている矢先、先生が他界され、お話を記録しておくのだったと非常に残念に思ったことを思い出す。図書館の歴史を繙く時、コレクションの受入れの経緯などがハッキリしないことも多く、記録の重要性を感ずることがしばしばである。とくに、寄贈者自身による記録があれば、寄贈の経緯だけでなく、蔵書の内容についても明らかになることが多いと思われる。今後是非実現したいと考える。
 さて、飯島正先生による蔵書寄贈のことであるが、飯島先生の寄贈も前記の寄贈と同じ形である。後々の散逸を避けたいとのお考えがあったと伺っている。先生は大変お元気である。若千足が弱ってはいるが、その記憶力は驚く程であるし、伺う度にテーブルの上に新刊書が置かれていることにも衰えぬ気力を感ずることができる。お話は大変興味深いものであり、とくに本に関する話は記録して、先生のコレクションのひとつとしておきたいと担当者で話し合ったりしていた。ところが、先生は平成3年3月に青蛙房から『ぼくの明治・大正・昭和』という二段組300ページにわたる自伝を出版された。この自伝は、分量の関係で原稿にしたもの全部ではないとのことであるが、自伝を読むことによって、先生の蔵書の内容、来歴などが窺えるのではないかと思われる。是非御一読願いたいと考える。
 飯島正先生は1902年(明治35)東京で生まれた。1918年(大正8)府立一中を卒業、第三高等学校に入学した。三高の寮では中谷孝雄、梶井基次郎が同室であった。1922年(大正11)東京帝国大学文学部仏蘭西文学科に入学、途中闘病生活をはさみ、1929年(昭和4)大学を卒業した。1922年に『キネマ旬報』の同人となり、以後映画文筆を続ける。戦後、1946年(昭和21)早稲田大学文学部講師、1957年(昭和32)教授となり、1972年(昭和47)大学を停年退職した。この間、第七次『新思潮』、『青空』、『文芸都市』、『詩と詩諭』、『近代生活』等の同人となり、小説、戯曲、詩などを発表している。著作は処女論集『シネマのABC』(1929、厚生閣書店)を初めとする映画関係の論考や翻訳など多数ある。(略年譜、著作目録、創作目録は『演劇学』第13号:特集飯島正教授古稀記念諭文集、1972に詳しく掲載されている)
 寄贈された資料は現在仮整理中である。89年6月に寄贈の申し入れがあり、その後、何回にもわたって作業が行われ、この8月におおよその資料の図書館への搬入が行われた。そのため、洋書については、第一次分としての仮目録を作成している。内容は映画1372、ハンガリー641、アステカ364冊である。この仮目録は事務用として使っているが、洋書だけであり、また寄贈の一部であるので、寄贈資料の全貌を掴めるものではない。寄贈資料の内訳は、図書・雑誌が約4000冊(和書1000、洋書3000)である。そのほかに切り抜きのスクラップ・ブック、プログラム、スチール写真(2500タイトル)、原稿、日記などがある。内容は大きくわけて三つの柱になっている。ひとつは映画、ひとつはハンガリー関係、いまひとつはアステカ関係である。勿論映画関係のコレクションは言うまでもなく大変貴重なものであるが、注目すべきはハンガリー関係の資料についてであろう。文学を中心としたこのハンガリー関係の資料が集まっているコレクションは数少ないと思われる。ハンガリーに興味を持ったことに先生は、『ぼくの明治・大正・昭和』のなかで次のように書いている。
 「大学三年の終わり近く、ぼくは肺を病んで、絶対安静を半年以上も強いられた。その頃ぼくはいろいろな外国語に興味をもったが、病気がなおってからまっさきに手をつけたのはハンガリー語だった。――というわけは、ハンガリーの劇作家モルナール(姓)・フェレンツ(名)の『リリオム』のおもしろさ、親しさ、熱情、といったものにすっかりほれ込み、モルナールはもちろん、ハンガリー文学――たとえばヘルタイ・イェネー、ピロー・ラョシュなど――の作品を読みたいという衝動に駆られた結果だった。」
 このハンガリー研究は、数多くの論考の他、ヘルタイ『母の心の対話』、『チュンデルラキ姉妹』、モルナール『お人好しの仙女』などを翻訳している。徳永康元氏(文学部非常勤講師)は先生の八ンガリー関係の蔵書内容やその収集について次のように述べている。
 「飯島さんが名だたる蔵書家であることは今更紹介するまでもないが、おそらくその中で、映画関係書のコレクションに次いでよく集まっているのは、ハンガリーと、その親縁民族フィンランド、ニストニアなどの文学書・語学書の蒐集だろう。ことに、飯島さんの蒐書は一九二○年代からはじまっているので、第二次大戦後の今では、ヨーロッパの古本屋を探しまわってもめったに手に入らないような貴重な資料がたくさんある。愛書家の本の集め方というのはそれぞれ個性のあるものだが、飯島さんはむかし永い療養生活を送られたせいか、若いころから街の本屋を歩くよりも直接に外国の古本屋へ目録で注文されていたらしい。そのやり方も、飯島さんらしく実に丹念なものだったとみえ、第二次大戦中、私がハンガリーに留学していたとき、ブタペストの街の小さな古本屋(キシュという名前だった)ヘ入ったら、この店の年寄りの主人に、日本の東京からハンガリー文学の本をよく注文して来るイイジマという人がいるのだが貴君は知っているか、ときかれて驚いたこどがある。」(『演劇学』13)
 また、メキシコ、アステカヘの興味は一九二○年代からで、メキシコの征服者コルテスの通訳兼愛人としてコルテスを助けたアステカ族のマリンチェについて『メキシコのマリンチェ』(晶文社1980)を書いている。
 映画、ハンガリー、アステカと飯島先生のコレクションの成り立ちは、自伝である『ぼくの明冶・大正・昭和』を読むとより一層興味深いものがある。


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