No.35(1992.5.15)p 13

早稲田大学芸術功労者表彰記念

「八木義徳展」報告

同展実施委員会



このほど、作家の八木義徳氏が「早稲田大学芸術功労者」として表彰された。これを記念し、3月25日から4月3日の10日間、「八木義徳展」を総合学術情報センターの展示室において開催した。

「早稲田大学芸術功労者」の表彰制度は、昭和59年、大学創立百周年を記念し、「芸術の振興に顕著な功績のあった校友」を顕彰する制度として設けられたのもので、これまで、井伏鱒二氏、森繁久彌氏、丹羽文雄氏の三氏が選ばれている。

八木義徳氏は、明治44年、北海道室蘭に生まれた。室蘭中学から北海道大学水産専門部を経て第ニ早稲田高等学院、文学部仏文科に学び、昭和19年応召中に『劉廣福』により第19回芥川賞を受賞。戦災で妻子を失い、その苦しみと絶望の中から生れた『母子鎮魂』『私のソーニャ』などの作品で作家的地位を確立した。その後は読売文学賞を受賞した『風祭』をはじめ、『海明け』『遠い地平』など自伝的作品を次々に発表、独自の境地を拓いた。私小説の正統を歩み続ける五十余年の業績に対し、近年、日本芸術院賞、菊池寛賞が贈られた。

3月25日卒業式当日、小山総長の式辞に続いて八木氏の表彰がおこなわれた。その後正子夫人とともに展示会場へ足を運ばれ、教育学部紅野敏郎教授や文学部平岡篤頼教授、村松定孝氏らとともに展示資料を観て回られた。今回の展示のために氏からお借りした資料や、ご所蔵の写真をもとに作成したパネルなどがケースにならんだ様子にしきりに感嘆の声をもらされ、初期の作品や雑誌を懐かしげに見入っておられた。早朝からのお疲れにもかかわらず二度にわたってご覧いただき、担当者へもねぎらいの言葉を頂戴した。

今回の展示について、担当者3名に指示があったのが2月末日。準備期間が一か月をきっていたうえ、館蔵資料も十分とはいえず、果たして展覧会としての体裁を整えることができるだろうか、という不安の中での作業開始であった。幸い、八木氏ご本人をはじめとして、氏の資料を豊富に所蔵する室蘭の市立図書館附属文学資料館(港の文学館)、福武書店、紅野敏郎教授、平岡篤頼教授、保昌正夫氏など多くの方々から、資料の提供やご指導を賜り、また、年度末の繁忙をきわめるさなか、館員諸氏からも種々ご協力をいただき、無事、開催にこぎつけることができた。





八木義徳氏 展示会場にて

出陳資料の詳細は展示目録を参照していただくこととし、以下そのあらましを述べておく。まず、自筆資料は、『私の文学』『海明け』『遠い地平』など自伝的色彩の濃い作品の原稿を、各時期の八木氏を語る資料として選び、全体に配したほか、第三次「早稲田文学」復刊や生涯の師横光利一との出会いにふれる『あの頃のこと』、八木文学独自の境地「北方の憂鬱(トスカ)」の文字のある色紙などを展示した。氏の原稿は訂正や書込みが少なくきわめて端正なので(来観者からもしばしばそうした感想がきかれた)必要な個所を、読める形に展示することを心がけた。

著書は、戦後の代表作『母子鎮魂』『私のソーニャ』『美しき晩年のために』から最新作『文学の鬼を志望す』まで、『八木義徳全集』を含め主要なものをほぼ網羅した。

雑誌は、高等学院時代に中村八郎・辻亮一・多田裕計らと創刊した同人雑誌「黙示」、芥川賞候補となった『海豹』収載号ほかの「早稲田文学」、芥川賞受賞作『劉廣福』を載せる「日本文学者」初期作品の初出誌、創刊・編集に参加した「文芸時代」「文学者」「風景」など。

このほか、八木氏所蔵の横光利一書幅、芥川賞正賞の硯(河井寛次郎作)、氏をモデルにしたブロンズ像(中川曠人作)などを出陳した。

開催期間中、4月1日の入学式をはじめ天候に、めぐまれなかったこともあり、入場者は844名にとどまったが、幸いにも来館者には概ね好評を得た。とりわけ八木文学を知る方々からは今回の表彰と展示を喜ぶ声を多々うかがった。
厳しい日程に追われた一か月であったが、これを機に八木文学の読者がひとりでも増えればこれに過ぐる喜びはない。

(文責:大江令子)


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