ふみくら:早稲田大学図書館報No.33(1991.12.5) p.22

下村正太郎(1883〜1944)

大丸呉服店主、下村文庫旧蔵者


 『早稲田学報』明治44年l月号には、「大丸呉服店主の図書寄贈」という見出しで始まる一項目がある。下村文庫が本館の所蔵に帰したことを報ずる記事である。その経緯を以下に引用してみると、「下村正大郎氏は、本校商科出身にて本校と浅からざる縁故を有するひとなるが、過般家政整理の為め多年収蔵の宝什を挙て売却せられたる折、典籍のみは父祖の手沢を経たる者にて売却に忍びずとて本校図書館に全部の寄贈は申出されたり」。下村と縁の深かった市島春城(初代図書館長)は、このとき自ら京都の下村家に出向き、貰い受けるべき書物の選定に当たったという。当時春城が書き留めていた日記からも、この蔵書の様子が窺える。

   蔵書格別のものなきも、版に佳なるもの少からず。十三経[イ12・21,22] 

   など頗る佳版也。廿−史[イ12・51〜80のうち]、文献通考[イ12・100]、 列

   朝詩集[イ12・45]、皆然り。殊に喜こぶべきは、十五通志[イ12・85〜99]

   の存することなり、斯る書の、古るく日本に備はりあるは奇なりと思惟し、試

   みに之れを問へば、之れを購ひし当時、近衛、三井の二家と、下村の外、他に

   之れを有するものなしとて評判を博したるものと云ふ。左もあるべき事也。… 

  [中略]…写本にて取りわけたるは源氏物語、古今法書苑[特イ12・49]等な

   り、大成経先代旧事記[イ12・50]、早稲田の蔵本は不備に付、之れも貰らひ   

   受くる内へ入れたり。(『雙魚堂日載  巻一』明治43.11.20より 

                                     *書名の後の角括弧は、本館請求番号)

 整理の済んだ下村文庫の全容は、『早稲田大学図書館和漢図書分類目録(一)総類之部』に掲載されている。これらの書物群は、今なお早稲田の特殊コレクションのひとつとして、光彩を放ち続けているのである。
 さて、写真の下村正太郎について。明治39年に早大に入学したが、翌年、不幸にも父君が没したために中退し、41年には近代的な経営を視察する目的で「洋行」に出た。当時の大丸呉服店は、時代の波にもまれて経営難に陥っていたのである。「二百年の旧家を潰すを遺憾とした」春城は、彼の帰朝後、密かに店の改草を進言し、相談相手になり、あるいは援助を請うため大隈重信に紹介するなど、様々なかたちで力になったという(大丸再建の際の大隈と下村の交流は、早稲田大学出版部刊『エピソード大隈重信』に詳しい)。こういった人と人とのつながりが、寄贈図書の裏に存在していたわけである。
 たった一枚の肖像写真であるが、呉服店主の洋服姿は、大丸呉服店から大丸百貨店への転換期を象徴しているようにも思える。「洋行」帰りのハイカラな雰囲気も漂うが、家業の建て直しに生涯をかけた、紛れもない「明治の男」の顔である。
 なお、下村文庫の概要は「館蔵特殊コレクション摘報l」(『ふみくら』7号 昭61.1)および下村正太郎(子息)著「『下村文庫』下村正太郎について」(『早稲田大学図書館紀要』30号 平l.3)が参考になる。


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