No.33(1991.12.5)p 8-11

本の周辺 18



『春秋經傳集解』の版木について



梶田理絵(文学研究科研修生・風陵文庫整理担当)



    1980年8月下旬から9月中旬にかけて、当館蔵、『春秋經傳集解三十巻』の版黙499枚について、その清掃と整理を行った。長年来、旧図書館5階の書架上に積み置かれていたが、新図書館への移転を控え、再調査が必要とされていた。

作業の手順は
@ 吸入口にブラシのついた掃除機で、粗方の埃を吸い取る。
A 水を流しながらスポンジとブラシで版面をこすり、こびりついた汚れを洗い落とす。
B 日陰に並べて乾かす。
C 版木のほとんどは表裏両面が使われており、彫られた版面は同巻中の連続する丁であることが多い。そこでほぼ巻ごとの山になるように版木を仕分けし、用意しておいたラベルに両面の巻数、丁数を記入した後、貼りつける。
D 欠本がないか調べる。比較照合のため、安政三年東都知心堂・錦耕堂、用田辺氏蔵宋刊本翻刻本『春秋經傳集解』大一五冊(当館蔵ロ12/1726/1〜15)を用意した。この本は今回整理する版木が彫られた翌年、江戸で刊印されたものだが、比較対照するうちに序と本文はまったくの同一刻本であるとわかった。ただ、重ねてみると1〜3ミリのずれを生じるものがある。全体に拡大或いは縮小された感じのずれで、この程度なら、版木自体が反って変形したためと考え得る。この版木は作られてから、すでに百三十年以上を経ているのである。
E 扉・巻頭・奥付・題箋等の彫られた版木を採り出して和紙に刷り、書誌学的資料を揃えて後の版本調査に備える。
F 2週間ほど、木が完全に乾くまで待って、20〜23枚ずつ木箱に収める。
G 各木箱に収納した版木の巻数・丁数のリストを貼る。
H 燻蒸して、虫を殺す。
I これがいかなる版木(版本)かを調べる。

    @〜Dの作業は8月27日〜31日の5日間に9人の学生アルバイトの手を借りて行われた。一日中水端にしゃがんで、蚊に悩まされながら、ひたすら板をこするというやっかいな仕事だったが、冗談を飛ばす余裕をみせて、みな熱心に取り組んでくれた。幸い天候にも恵まれ、予想以上のペースで仕事が進んだのでEの刷りに十分な時間をかけることができた。

    Aの水に当ててブラシで擦るというのは、版木の保存を考えると抵抗があったが、汚れがひどいのと、専門の刷り師も洗う時はそうしているとわかったので敢行した。ただし、虫損が激しく、触れただけでボロボロ崩れる状態のものも数十枚あったので、これについては、軽く布で拭くに止めた。

    Dの欠丁について。この時点では四丁の欠落があったが、今年に入って新館への移転の際、もう1枚版木がみつかり、結局、500枚の版木が現存し、冠一九の第一三丁と第一四丁の二丁が欠けているとわかった。この二丁は1枚の版木の裏表に彫られているか、2枚の版木にそれぞれ彫られているかだろうが、これらの版木は明治41年に寄贈を受けた時には503枚あったらしい。その時の記録が、早稲田大学図書館初代館長を勤めた市島謙吉(春城)著『紅霞山房瑣記』巻乾(当館蔵イ4/1919/225)にあることを、鎌倉喜久恵氏(館員)から御教示いただいた。少し長くなるが、当時の状況をよく伝えているのでここに引用しておく。翻字は梶田がおこなった。


    (当版木から3行分刷って貼りつけてある)
    ○宋版覆刻左傳版木全部(仙臺版)こ」れまで池之端琳琅閣と越後中蒲原郡新」津町杉本仲温(此人は歿し今は子息金」太郎といふ人相讀したるといふ)共同にて」所有したりし所此程兩者の間に協議成り」これを早稲田の文庫に寄贈せんと存するが」これを受けたる哉否と照會し來たれり版□」は兩面なれども總數五百三枚の多きに及び」早稲田に於てこれを蔵する場所も無れども」あたら版木をムザムザ削り潰ぶさせるの」が殘念さに二つ返事に貰らひ受くる事に」なった。即ち前に掲げた三行ばかりが聊」か版の面顔をあらはしたものである。保」存の法に就ては更らに工風を要する費さ」なねばならぬ(明治四十一年五月九日)(下部×は見せ消ち、」は改行。下線は梶田が加えた。)


    このように「總數五百三枚」と明記してあり、これが数え違いでない限り、さらに版木1、2枚の欠落があるということになる。現在、上記の欠丁二丁を除けば、題箋(1〜15)、新旧扉、序、本文、新旧刊記、発兌書林一覧(3種)が揃っており、書物としての体裁は整っている。ただ、今ある題箋は見た感じが新しいので、他に旧題箋があってもおかしくないように思われる。なお明治41年6月の「早稲田學報」160号に当版木寄贈の記事が見えるが、版木の双総数が530枚となっている。これは明らかに誤り。また、この記事から杉本氏と琳琅閣の所有時には、齋藤書店に保管されていたことがわかる。

    Eの刷りには松下眞也氏(館員)が当たった。古新聞に水刷毛で水を薄く引いた間に4つ切の和紙を挟んで30分ほどおく。この紙の湿り具合が大変難しく、刷り上がりの美醜はこれにかなり左右される。又、墨(墨汁)を版木に塗る時に、泡立たないようにする、紙の裏表、紙の目に注意する、紙と版木がずれないように気をつけることなどが肝心な点である。松下氏は刷り師から教えてもらった秘伝と称して、墨汁に牛乳を数滴たらしていた。


    さて、Eの版本調査だが、今のところ調べ尽くしたとはとても言えない状況である。ここでは、この版本がいかなるものであるかを中間報告としてまとめておきたい。

    春秋經傳集解三十巻(晉)杜預撰。単辺(縦19.5×横15.3cm)、有界、毎半丁9行、各行字数19字、注小字双行、句点返り点を附する。版心(幅1.1cm)、黒魚尾は上のみ。毎巻第一丁小口(下)に「翻刻影宋本」とある。
@ 旧扉
旧扉(図@)には右に「田邊先生讀本 宋版/飜刻(/は割り書きの意、以下同様)」中央に「春秋/集解 左氏傳 全卅冊」、左に「仙府 靜嘉堂」とあり、上に横書きで「安政乙卯刻成」とある。
A 旧刊記
旧刊記(図A)には右から「養賢堂/御藏版 御拂所」「安政二年乙卯刻成」「書林 (ママ)管原屋安兵衛板」とあり、「(ママ)菅原屋」の右肩に小字で「仙臺國分町十九軒」とある。
B  新扉
新扉(図B)には右に「宋版飜刻 全十五冊」中央に「春秋左氏傳」と大書してあり、左には「東京 中村氏(「中村氏蔵書」印)」とある。
C  新刊記(埋め木)
    又、第三十第三十七丁表で本文が終った後、裏(図C)の左には「發兌書林」の横書大書の下に「仙臺國分町 菅原安兵衛」以下五つの書林が並べられているが、その右には新しく埋め木が施されている。これが新刊記で「安政二年五月刻成/明治十三年一月求版 中村小兵衛 (「藏版」印)とあり、左に小字で「東京小傳馬町三丁目拾二番地」とある。

    旧扉の「田邊先生」とは田邊匡敕のこと。匡敕、字は子順、号は中洲、後に自ら樂齋と称す。晋齋の孫、希績の義子。本姓野中氏。幼年より田邊希文・希元父子に学び、仙台藩七代藩主伊達重村に学資を賜り、京都・江戸に遊学。帰国後八代藩主齋宗の侍講に進み、藩校養賢堂の学頭になった。彼が訓点を施した『養賢堂版五經』は字行鮮にして、海内無双の善本と称せられる。文政6年(1823)4月17日、年七十にして歿した。

    当版木五百余枚は、田邊匡敕の点を附した飜刻影宋本で、安政2年(1855)5月成刻。養賢堂から菅原屋に払い下げられて刊行されたもの。旧扉の「靜嘉堂」は菅原屋の屋号であろう。その後、当版木本は東京に移され、25年後の明治13年1月に中村小兵衛が後印した。刻成が安政2年中の5月であったことは、中村氏による新刊記(埋め木部分)によってわかる。その根拠となる記述は埋め木する時に削り取られてしまったか、失われた版木に彫られていたかだと思う。推測だが、翌安政3年の菅原屋による扉か刊記があったのではなかろうか。

奥付(発兌書林)

   長澤規矩也著『和刻本漢籍目録並補正』を見ると田邊〔匡敕點、春秋經傳集解三〇巻」には(1)安政2年江戸、安政堂・錦耕堂 (2)安政3年印、仙臺、靜嘉堂菅原屋安兵衛 (3)後印、敦賀屋九兵衛・和泉屋市兵衛の3種が同版本として著録されているだけで、安政2年菅原屋安兵衛刊本はない。内閣文庫、東北大学の漢籍目録にも(2)の安政3年本が載っているだけである。私の調べたなかでは唯一、『仙台年表』(当館蔵リ5/13697)の安政2年の項に「管原屋安兵衛エ春秋經傳集解30巻第15冊刊行」との記事があり、注に、原文献が現存するとあるのを見出したに止まる。菅原屋は安政2年成刻の当版木を用いて、翌3年、後印本を出したと考えるのが順当であろう。ならば、安政3年の扉か刊記の彫られた版木があるはずではないか。

    また、巻二十一第三十九丁が彫られた版木の裏面に「田邊新次郎藏版」とある。これがいつの人が調べがまだついていない。それがわかれば、当版木所蔵者の変遷について、残る空白をいささかなりと埋めることができよう。

    各巻巻末に彫られた蔵書印「蒼州(陰刻)」と「頼古堂藏書(陽刻)」も誰を指すのかわからない。頼古堂は清の周亮工
(1612〜1672)の号だがはたして関係があるかどうか。今後の課題である。

    以上、春秋経伝集解三〇巻の版木の整理と調査状況について私なりにまとめてみた。今回、一部十五冊の線装本に必要な版木の量というものを身を以って体験し、古来書物のために費やされてきた人間の時間と労力と情熱に胸をつかれる思いがした。

    版木五百枚は、今、本庄分館に保管されてる。 




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