No.32(1991.10.25)p5



「本を残す」こと(明治期資料マイクロ化事業)に協力して



原  田  淳  夫(神奈川県立図書館)


    「本を残す」とはその物理的な保存を通して、そこに記された、意味とデータを後世に伝えることである。もとより保存のためには、複線的な方法論が考えられて良いし、マイクロ化もそうした意味でゆるがせにできない仕事といってよい。

   今回、私の所属する神奈川県立図書館から早稲田大学図書館が進めている明治期刊行物マイクロ化計画に少しばかりの協力をさせていただくことになった。そのきっかけは、この事業の中心となって進めておられる山本信男氏に、1989年6月の資料保存研究会定例会で「明治期刊行物のマイクロ化事業について」と題する講演をしていただいたことである。

    資料保存研究会は、酸性紙による蔵書の劣化問題を初めてとりあげた1984年の図書館大会大阪大会と、その先駆けとなった金谷博雄氏の「本を残す」等がきっかけとなって継続的に取り組むために1985年に生れた研究会である。研究会は1990年に日本図書館協会の常設委員会へと改組発展し、月例研究会等の事業を組織的に行い資料保存の多様な諸問題に多角的に取り組んでいる。

    研究会での山本氏の講演に接し、膨大な明治期刊行物の一点一点に対してきめ細かい配慮を持ちながら進めておられることにひそかに敬服し、その心意気に私なりに協力できることはないのか、なんらかの協力をしたいと考えていた。

    神奈川県立図書館は1954年開館で、県立図書館の中でも最後発のグループに属しており、明治期刊行物を必ずしも豊富に所蔵しているわけではない。しかし、開館に際してかなりのものを寄贈や古書店等からの購入により収集していることは承知しており、開館する以前の出版物も基本図書を中心に所蔵していることがわかった。

    手始めに当館の初期の冊子本目録を使って出版年が明治とされているもの約3,000点を抽出し、そのリストを山本氏に提供した。その後同氏より連絡があり、その内の約200点が早稲田大学図書館では所蔵していないか、あるいは版次の異なるものであることがわかった。

    あらためて、該当資料の台帳を調べてみると納入書店名には、神田や本郷の古書店の名前があり、幾度にもわたって購入したものであった。この時期は当館の「神奈川県立図書館・音楽堂のあゆみ」によると開館まもなくで当館が県立図書館としての基本蔵書を構成するための時期と位置付けられており、当時の担当者の印象では、「購入するものの半分程度は古書店からのものであった。それは特別に購入していたわけではなく当たり前に購入していた」。当時の予算項目中に古書購入費が計上されていることがわかる。当時の館としての資料に対する思い入れがしのばれる。

    今回提供することになったものの大半は、明治期に刊行された童謡・唱歌であるが、これらを見ると、意外に資料の状態が良いことに驚く。刊行された当時には特別に大事にされたとは思えないが、おしなべて本を大事にしていたという印象がうかがえる。

    はしなくもお役に立てたことをうれしいと思うし、資料保存研究会(委員会)に携わってきた私としてもまんざらでもないと自賛しているところである。

    それにしても、遅れてスタートした館に、このようにいささかなりとも役立つ資料があったのは何故だろうかと考え、またその当時収集に携わった司書たちの心意気を思うとき、やはり図書館のポイントは「資料」なのだということに思い至るのである。これから何年かさきに自らにも有用であり、他への支援もできるような収集を累積することが現在なし得ているかどうか。心して仕事に励まねばならないと考えている。





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