No.32(1991.10.25)p3-4

久保天隋本をめぐって



紅  野  敏  郎(教育学部教授・図書館参与)


    文化勲章受賞者の東大名誉教授久保亮五氏より父天隨の著者その他一括して早稲田の新中央図書館に寄贈する旨の御連絡を受けた。たまたま現在丸善に連載している私の「『学鐙』を読む」のなかで、天隨をとりあげ、「学鐙」に寄稿されたものを中心に書いたものを見られて、その気になられたという。私にとっては甚だありがたいことであり、また安部球場のあとに建てられた新中央図書館にとっても、久保天隨の本はあまりなかったので、お宅に参上して運ばせて頂いた。

   漢籍関係も多いが、明治三十年代の美文・評論・翻訳の類も天隨の仕事のなかでは見のがせないもので、「新文芸」という雑誌の実質的な推進者でもあった。そのなかには、旧「村上文庫」が収まっているバークレーにも見当たらぬ本もまじっていた。『漢文評釈』(明治32.12 新聲社)などは、バークレーにも、天理図書館にも「欠」のものである。『古詩評釈』(明治33.6新聲社)にしても同様である。このたびの「明治期刊行物集成」の仕事のなかで、バークレーとの提携が出来、「旧村上文庫」のうち、こちら側にないものも全面的に協力して頂くこととなった。

    この久保天隨の本などは、運よく久保亮五氏よりの御寄贈があったので、両者ともにプラスになった例の一つ、と私は思っている。
   「増補三版」という『七寸鞋』(明治34.6  内外出版協会)という本が久保亮五氏より寄贈されたものだが、この初版がバークレーにある。やはりこの本の初版をどうしても見たい。「増補」とは一体何が「増補」なのか確かめたい。再版では「増補」の言葉はない。この『七寸鞋』には、末尾に第三版増補のリストもあげられている。そもそもこの本は紀行文である。その序には、

「顧みれば、年甫めて十七、笈を負ふて五城樓下に向ひし後、すでに八星霜、暇あれば跋山渉水これ事とす、すでに二たび芙蓉の項に踞し、三たび玄海の波に漂ひ、南は鬼界の天を窺ひ、北は蝦夷の境を窮め、ここに人生五十の半に及びし今の時、足跡正に海内に遍ねく、名嵩巨浸、探討せざるは希なり。桑蓬の宿志、聊か一半を報ゆるを得た、快や何ぞ窮まらむ」


とある。立山も出て来れば、三河北部も出て来るし、妙義山も出て来るし、四国の「えせ遍路」なる文も出て来る。天隨先生の行程、まさに一驚に値する。「この書を読む者は、文筆の拙を責めずして、境地の霊に尋ねよ」と強く主張する天隨がここにいる。「未知の曠土」を「踏破」する興味、ここには明治人の一大気概がある。

    『文學評論  塵中方言』(明治34.10 鐘美堂本店)は、すでに谷沢永一がとりあげているが、天隨はみずから専門とする中国文学関係の記事のみならず、「現代自国文学の玩賞」の必要性を感じてもいた。この『文學評論  塵中方言』のなかに、たとえば「風葉と鏡花」という一文がある。

  「紅葉門下の桃李、世に風葉鏡花と推す。而かも風葉は、余が前に之を蛙の子の科斗に喩えたる如く、全く紅葉的なり。浅易の想を文るに、彫絵の辞を以てし、勝を委曲繊軟の趣地に取る。その気局の狭少なるは、遂に争ふべからず」

  
と述べ、まず風葉を拝し、鏡花については、

 「蓋し彼は誠に詩味を解するもの、その落想に一種警抜幽奥の趣あるは他に匹儔を見ざるものといふべく、時に険奇怪譎に馳せて劇心裂膓の文字、夜堂人なく鬼気森として襲ひ来る底の者あり」

と大いに称賛する。鏡花研究史のなかでも、同時代発言として先見の明あり、というべきものである。鏡花の天才たることを知悉しつつも、末尾では「鏡花たるもの、努力して怠らず、早く渾成円熟の老境に到達するを期せよ」とおおらかにはげましているところなど思わずほほえまれる。

    『文壇獅子吼』(明治40.1 日高有倫堂)にしても、初出のなかには「早稲田学報」に寄せられたものも含まれている。『みだれ髪』や島崎藤村の詩についての発言もあるし、高山樗牛の追悼文もある。「スペンサー逝く」というような表題のなかにも、明治人のおもむきが十分に感じとられる。さらに『エ゛ルテル』の翻訳(明治37.7 金港堂)―これは原本に據るわが国最初のもの―の著書を天隨は持っているが、『文壇獅子吼』のなかでも、『エ゛ルテル』に収めた「ウェルテル著作の所因及び影響」を採録している。一巻の『ウェルテル』はまさに「文学上社会上の紀念」であり、「千歳なほ不朽」と評価している。

    「放言」と「獅子吼」とは、いわば表裏一体と見て然るべきものである。「放言」がある故、「獅子吼」もあるのだし、「獅子吼」があって「放言」も生きてくるのである。『文壇獅子吼』のなかに「放言」と題したものが(一)より(十二)にわたって収められているのも興味深い。「方言」(十一)には、「生れ付いての馬鹿に非ざる限り、遅速の別こそあれ、必ず成功を見るべきは、研究の一辺に在り、而して、これ学者の本分なり」とある。「騏驥」でなくとも、「精力」「根気」により、「駑馬」も「十駕」すれば、達すべきところに達することが出来る。こういう「放言」により私たちは努力の楽しみを知り、救われるのである。

    久保天隨に関する本が、こういうかたちで広く流布するきっかけが出来たことは、大きな喜びである。

    この種のことが続出、「旧村上文庫」はよみがえり、また久保亮五氏の御好意にも報いることが出来る。



図書館ホームページへ

Copyright (C) Waseda University Library, 1996. All Rights Reserved.
Archived Web, 2002