ふみくら:早稲田大学図書館報No.31(1991.9.20) p.15

表紙写真解説

小倉金之助(1885〜1962) 数学史家

小倉文庫旧蔵者

 今から60年ほど前のこと、日本数学史の研究のために、私費でコツコツと古本を集めようとする人がいた。小倉金之助である。

 ……ところで実際少しばかりこの蒐集をやってみますと、相当に経費がかかりますので、僅かばかりの私費で系統的なコレクションを作ろうとするのは、よほど無理であるかのようにみえました。そこで私は熟考の末、伝統ある大きな古本屋ではどうしても本が高いので、それと反対に、京阪神附近のみすばらしい古本屋あさりから始めてみたのであります。ところがある日曜日の朝に、もう十数年間も往んでいました池田町の、ごく辺鄙なところにあって、客のほとんど入らないような古本屋で、和算書二冊、維新ごろの幾何・三角法二冊のほかに、幕末に輸入したオランダの航海書一冊を見出しましたので、全部でくいらかと訊いたところが、わずかに一円だというのです。早遠それを買って帰る途中、ふと思い浮かべましたのは、「道は近きにあり、これを遠きに求む」という言葉でした。私は確信を得たのであります。(『日本人の自伝』第14巻)さて日本の数学史を知るには中国の古い数学書も必要。そこで彼は、当時中国の数学史家の第一人者であった李儼との、書籍交換を思いつく。
 …私が和算書を見付け次第送ってやりますと向うからは中国の数学書を送ってくる…(中略)…中国の数学書というのは、向こうから取寄せれば、日本の和算書の三分の一から五分の一ぐらいの安い値段で、買えるのが普通なのですから、一年も経たないうちに、きわめて廉価でたくさんの書物が集まったのであります。(引用書は同上)

 こうして、当初は無理かのように思えた「系統的なコレクション」は、みこどにできあがっていったのである。集まった書物をもとに、彼は和算関係の論文を発表しはじめたが、皮肉なことに、研究成果が世に知られるにつれて、古本屋の和算書の価格も上がって行ったそうである。それに関して、「何だか自分で自分の首をしめているようで」というような冗談を言って笑った、というエピソードも残っている。
 昭和31年、これらの書物は本館の所蔵となり、「小倉文庫(イ16)」と名付けられた。和算書のコレクションとしては、日本で三本の指に入るという高い評価を受けている。現在は古書資料庫(一部は貴重書庫)に配架されている。
 小倉文庫の概要は、「館蔵特殊コレクション摘報6」(『ふみくら』第9号 昭61.10)および小倉欣一著「『小倉文庫』と祖父金之助」(『早稲田大学図書館紀要』第30号 平l.3)に紹介されているので併せて参照されたい。

 表紙写真は小倉金之助の肖像。静かな目差しのなかには、日本数学史研究への、そして彼の書物に対する情熱が、深く潜んでいるようにも見える。


図書館ホームページへ

Copyright (C) Waseda University Library, 1996. All Rights Reserved.
Archived Web,January 17, 2000