ふみくら:早稲田大学図書館報No.28(1991.2.1) p.9

『申報』影印版の購入・所蔵によせて

堤茂樹(文学研究科東洋史博士課程2年)

 1983年から1987年にかけて上海書店から刊行された『申報』の影印縮刷版が、この度図書館雑誌室で購入・所蔵されることとなった。これは、上海図書館所蔵の原本を底本とし、北京清華大学図書館、広西柱林図書館、江蘇南京図書館、江蘇常熟市図書館所蔵のものにより補正して、1872(同治11)年4月30日の創刊から、1949(民国38)年5月27日の停刊に到る迄の全号を400冊にまとめて出版したものである。改めて言う迄もなく、『申報』は、1949年の「解放」以前、中国で最も長い歴史を誇った新聞であり、その名が示す通り上海の地方新聞であったが、『申報』という言葉が南方の一部地域で新聞を意味する普通名詞として使用されてきたことからも分かる様に中国の代表的な新聞の一つでもあった。これ迄もマイクロ資料室には1883年以降の『申報』のマイクロフィルムが存在していたが、欠号がかなり多く、特に1923年以前については、1910・1911年頃のものを除くと殆ど僅かしかないため、極めて利用しにくい状況にあった。『申報』全号の影印版の購入はその欠を補う意味を持つが、後述する如く全号の索引が刊行されつつあることから、中国近現代史研究の材料としての同紙の利用を格段に便利にするものであると言えよう。
 『申報』影印版刊行の意義については既に以下のような指摘が為されている。即ち、今回の刊行によって多くの人々が『申報』を仔細に読む機会を持つ様になり、日中の研究者が同一の資料に基づいて相互に意見を交流しつつ研究を促進しあえる時期が近づいたこと(小島淑男「『申報』影印本の出版によせて」、『東方』22、1982年)。長期に亘る市況報道(物価変動・金銀価格変動・金利変動)により、中国の経済社会に固有な特質を把握する基本的理解を行う上で重要な、継続性を持つ記録が提供されていること。同時代人の視野を明らかにし、それを媒介として歴史的事件を再構成することが読む側に要請されること。即ち、時代風潮を捉えようとする問題関心の下においてのみ、初めて新聞の歴史資料としての価値を現在的に顕現させることが司能になるのではないかと思われること。『申報』の経営自体――1872年イギリス人貿易商 F.メジャー等により創刊され、l909年に席子佩に譲られた後経営不振に陥り、1912年に史量才などの手に渡って紙面の改革が為された。発行部数も増加し、1926年には14万部を超えていた。1930年に抗日の論陣が張られるようになると、1934年11月史量才は暗殺され、1937年上海が日本軍に占領されると一時停刊し、漢口版(1938年l月15日から7月31日迄)及び香港版(1938年3月l日から1939年7月10日迄)が出版され、上海でも1938年10月10日、アメリカ人の名義で復刊された。しかし1941年の太平洋戦争勃発に伴い日本車が租界へ侵入すると、『申報』は、日本軍部により接収されてしまった。1945年8月以降は国民党政府が接収し、1949年5月27日、上海「解放」に伴い停刊となった――が、政治過程そのものであり、その変化の文脈において論調を分析する課題の存在すること。宣伝・広告の型や変遷を追跡することを通じて、同時代の経済観、更には中国的経済観の比較検討が可能になること。紙面の構成の形態を幾多の社会事象の反映として十分に検討する余地が残されていること。『申報』全号に亘る影印刊行は、各号・各記事・各報道の意味する範囲をはるかに越えた、中国近現代の時代像を形作る歴史的材料を提供していると考えられるが、それが実は現代の『申報』読者の問題関心のあり方を改めて問おうとしているのではないか、ということ(濱下武志「『申報』影印版の刊行について」、『東京大学東洋文化研究所附属東洋学文献センター報、センター通信』26、1985年)等である。特に、我々がこの文献をどう扱うかが問われている、という最後の指摘は重要であろう。
 『申報』の記事は、これ迄も各種の文献に史科として引用され利用されてきたが、全号の厖大な内容を史料として活用していく上で注目されるのが『申報索引』の刊行である。 これは上海書店が影印版の刊行に対応して1983年から準備に着手し、1987年から刊行を開始したもので、現在のところ、「1919年・1920年」、「1921年・1922年」、「1923年・1924年」の3冊が出版されている。同書店の刊行計画によると、先ず1919年から1949年迄の索引を15冊刊行し、最終的に3分冊の形で全号の索引が完成することになっている。年毎の大事記、分類日録、人名索引、『申報』で最も長期に亘り影響力も大きかったコラムである「自由談」の篇名日録及び作者索引、影印本との編号・頁数対照表等から成る『申報索引』の完成は、『申報』の史料的利用価値を飛躍的に高めることとなるに違いないと思われる。この索引作成の事業もまた大変な時間と労力を要するものであるが、利用する側の立場の者としては、一日も早い完成を期待するばかりである。もっとも、索引の完成によって必要最小限の情報を手軽に利用出来るようになることにより、『申報』全号に亘る影印版刊行の持つ意義の幾らかが見過ごされ易くなる可能性について留意する必要があろう。
 日本人の立場で『申報』の記事を活用しようとする試みの具体的な例の一つとして、最近では、毎日コミュニケーションズ『国際ニュース事典、外国新聞に見る日本』が挙げられる。同書には、創刊以来の『申報』に見られる日本関係の記時も翻訳・紹介されており、明治以来の日本を中国人がどのように捉えていたかを考える史料を提供してくれている。同書は現在第2巻まで刊行されており「今後続けられるだけ続けるつもり」とのことである。翻訳のチェックに携わり体調を崩した方もおられるようであり、これもまた大きな労力を必要とする事業の一つである。
 これら『申報』全号の影印版及びその索引、或いは『国際ニュース事典』等の刊行を、ただ一概に「便利になった」という言葉で片づけてしまうことは出来ない。やはり今後それらがどう活用され得るのかについて考えない訳にはいかないであろう。大変な労力と時間が費やされる大規模な刊行事業は他でも多く行われている。それらの背景には、もちろん経済的な営利目的ということもあるであろうが、やはり、残し得る情報を出来る限り豊富に、しかも利用し易い形で後世に伝えてゆきたい、そうすれば何時か誰かがそれらを活用し、何かしらの成果を世に問うてくれるであろうと信じ、その為に何かをしておきたいとする人々の思いを強く感じずにはいられない。将来への司能性を信じる気持ちを見出せるが故に、多くの情報を残そうとする出版事業は輝きを持ち得るのであり、それに応えてゆく為に、我々は、情報の氾濫に溺れず、情報を主体的に活用し得る途を求める努力をしてゆかねばならないであろう。
◎『申報』(サイ3−84−1〜400)
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"槍砲聲昨K夜不絶 解放軍今晨入市區
    守軍後撤菁華區幸保全" 「銃砲声昨夜来断えず、解放軍今朝市街へ突入。守備軍後退するも菁華区は幸い無事」――民国三十八年(1949)五月二十五日付『申報』(左写真)は、人民解放軍の上海市街への進攻を伝えている。抗日戦争時には日本軍の管理下におかれ、戦後は国民党政府に接収されるなど、一八七二年四月に創刊されて以来、『申報』は様々な紆余曲折をたどってきた。その『申報』も、二日後、同年五月二十七日、第二萬五千六百號をもって停刊となる。そして十月一日、北京で中華人民共和国が成立する。(高木理久夫:ふみくら編集委員)


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Archived Web,January 14, 2000