ふみくら:早稲田大学図書館報No.28(1991.2.1) p.2

現 図 書 館 の 完 成

中西 裕(和書データベース化事業室)

 延び延びになっていた図書館の着工は大正13年4月になった。大震災を経て、その後始末がようやくすんだ頃であっただろう。大正天皇即位記念事業として立てられた計画は大幅に変更されて、建設地は、奇しくも東京専門学校最古の校含が建てられたあたりということになった。
 公式の記録によれば、設計者は内藤多仲、設計補助が今井兼次とされているが、実質的な設計者は今井兼次であった。入札の結果、施工は上遠組が担当することとなる。建築費は最終的に、附帯工事を含めて49万円余にのぼった。
 この工事は大正14年10月に完成し、開館式を挙行した。式は500名が参列し、盛大に行なわれた。
 クリスチャンにしてヒューマニストであった今井は、建築家としての処女作であったこの図書館にその理想を託した。「地上に形成された建築は、此の建設にかかはつた衆人の作物であると私は考へて見度いのであります」という思想は、6本の柱をめぐる有名なエピソードに、象徴的に示されている。(長谷川尭『都市廻廊』中公文庫参照)
 延坪1,195坪、閲覧室収容人員500名、地上3階、地下1階、書庫部分は5層であった。大正末年の図書館としては有数のものであり、昭和2年の大隈講堂、3年の演劇博物館と並んで、この後長く早稲田大学のシンボルとなって今日に至っているわけである。
 奇をてらわない、単純な正方形に近い形は、機能性を第一に考えてつくられているようである。四角形の上辺に書庫を配置し、下辺に閲覧スペースを置き、その間を階段や貸出室とし、研究室を図書館の中にとり込んだ形などは、館員として初めて海外留学をし、アメリカの進んだ図書館施設の考え方をもたらした毛利宮彦の構想が大幅に取り入れられた結果であったと考えられる。
 昭和9年に書庫部分3階、昭和30年には南側に事務室などの部分が増築され、今日見る形となった。(表紙写真撮影=小野田照子)

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Archived Web,January 14, 2000