No.23(1990.5.3)p10-11

本の周辺15                                                                      

                                                                                             

宮  武  外  骨  紹  介

河  合  孝  浩    




『奇想天来』より

    いまさら宮武外骨を紹介するというのは少々間の抜けたことかもしれない。宮武外骨については既に多くのことが多くの人々に知られている。その生涯やエピソード、業績を記録した書物の数は少なくない。また、多くの人々がその生涯や業績に対する評価、解釈を下している。この上改めて紹介すべきことなどなにもないのかもしれない。
     多くの人々によって抱かれている宮武外骨に対するイメージは、おおよそ二つに大別できるように思われる。一つは、その生涯を通して貫かれて反官僚主義の姿勢、大日本帝国憲法のパロディーをはじめとするいくつかの筆禍事件によって彩られるある種の戦闘的ジャーナリストとしての姿などをもとにして描かれる、いわゆる「反骨の人」としての外骨。もう一つは、その著作全体にただよう何かいかがわしい魅力、猥褻なもの・滑稽なものに対する執着、多くの人々によって伝説的に語られるその奇癖・奇行などをもとにして描かれる「奇人」外骨。前者のイメージは主に「真面目な」研究者、宮武外骨という人物を明治・大正期の文化・社会史の一環として捉え評価しようとする人によって抱かれ、後者は一種の好事家、珍奇なものに対するフェティッシュな嗜好につき動かされ、古本屋街などを渉猟する人々によって抱かれる。これら二種の人々によって抱かれる二種のイメージはそれぞれ正当性を持っていて、決して間違っているわけではない。たしかに外骨は「反骨の人」でもあったし「奇人」でもあったのだろう。しかし、明治文化の専門的な研究者でもなく、珍奇なものに対する偏った趣味も持たず、ただ図書館の書庫のなかで偶然外骨の著書に巡り会い、そこに何か過剰な知性とでも言うべきものを垣間見てしまった者には、これら二つの一般に知られた宮武外骨という人物のイメージは、その著書が持っている豊富な可能性を裏切っているように思われてならない。
     宮武外骨という「人物」に焦点を当てると、どうしても上に挙げた二つのイメージへと収斂されてしまうのは止むを得ないことかもしれない。そこで、ここではその著書の可能性を矮小化させないために、宮武外骨という「人物」への関心、その伝記的事実への配慮を敢えて無視しようと思う。宮武外骨という名前をひとりの人間としてではなく、その著作群を統率している「機能する知性」として紹介することにしよう。

    たとえば、こんな文章がある。

     「相模」とは東海道の一国である、「仲條」とは氏族の称である、「七両二分」とは旧貨幣の数量、「猫」とは家畜の一種、とするのは普通知識である、然るにこれを古川柳作家は、淫奔下女を「相模」と云ひ、堕胎専門女医を「仲條」と称し、奸通を「七両二部」、売春婦を「猫」と呼んで居る、

(『変態知識』請求記号ヘ9 4388)


     熱血的「赤」雑誌生る!!過激か穏健か破壊か建設か、赤は改命の標章なりと云ふと雖も、官僚の機関警察の球燈検事の肩章は赤にあらずや、美人の腰巻もまた赤にあらずや、我「赤」は赤裸赤誠の赤と我国旗の中心色たる赤の標章なり。

(雑誌「赤」の創刊広告)



     これらの文章を貫いているのは言葉を意味という制度から解放しようという強い意志である。そして、そのような意味からの解放は「意味の破壊」といったような正面きった方法でなされるのではなく、「相模」「仲條」等の言葉の川柳語意による読み換え、、「赤」という言葉が喚起する多様な相矛盾するイメージの羅列による「赤」という言葉の脱意味化、といったような実に巧みな方法でなされている。意味という制度に対立しようというのではなく、逆に、制度のなかに入り込んで、いわばその関節を外すことによってその制度を無効にしてしまう。言葉の意味を壊すのではなく、言葉を自由に多義化することによって、言葉=意味といった対応関係を撹乱しているのである。
     意味という制度からの言葉の解放。このテーマは外骨の他の様々な著書にも見て取れる。『売春婦異名集』(ヲ6 3415)はその題の通り四百数十にのぼる売春婦の呼称を収集しその説明を付したものである。ここでは先ほど挙げた例とは逆に一つの対象に無数の言葉を結びつけることによって、意味という制度の無効化が企てられているのを見ることができる。同様の方法が『筆禍史』(ヘ3 3224)の広告にも見られる。そこには副題のようなものとして「文学的に云へば『禁止図書解題』政治的に云へば『幕府圧制実記』美術的に云へば『抹殺文画年表』と印刷されている。また、『日本擬人名辞書』(ホ2 1740)においては「大馬鹿三太郎」「雲助」「出歯亀」といった個人名が一般名詞として用いられる例が集められている。この個人名の一般名詞への変容も言葉の制度を揺るがすものであろう。
     しかし何といっても、この「言葉の制度からの解放」というテーマが最も美しくされた成就された成果は『奇想天来』(チ4 1994)に掲載された図画に見られる文字と絵画の野合であろう。これらの図画についてはもう何も説明したくない。ただ見て納得してもらうしかないだろう。そこにあるのはもはや文字でもなく絵でもない。意味の制度からも、音声の表記としての文字の制度からも、また視角の制度としての絵画からも解放された、人間の記号活動の純粋な輝きとでもいうべきものがそこにはあふれている。
     以上「言葉の解放者」としての宮武外骨の紹介を試みた。しかし、この宮武外骨のイメージは、無数のありうべき宮武外骨像の一つに過ぎない。完璧とはいえないまでも、決して少なくない宮武外骨の著書を収蔵する早稲田大学図書館の利用者は、これからいくらでも新しい宮武外骨を見いだす楽しみを得ることができるのである。
    本稿の筆者、編集委員河合孝浩氏は1990年3月24日死去されました。謹んで哀悼の意を表し、故人の御冥福をお祈り致します。


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