No.23(1990.5.30)p 8-9

本の周辺 14

いくつかの全集について

高橋順一(教育学部助教授)



    私は自分のやっている仕事を「思想史」と一応よぶことにしている。ただそれが客観的にどの程度正確なのかについてはあまり自信がない。ともかくある時期から19世紀と20世紀の西ヨーロッパの社会思想と文学・芸術の流れに関心をもつようになり、その周辺の本をあれこれ読みあさることが自分の主要な課題になっていったのである。テーマの性格上対象領域は多岐にわたらざるをえない。ある日はニーチェの草稿にあたったかと思えば、翌日はフーコーのセクシュアリテの概念に思いを巡らす、というのが私の日常である。このような スキゾフレニック な仕事の現状を仮に「思想史」とよんでいるだけである。従って私はあまりアカデミーやそれが要求する方法には縁のない人間で、大学図書館からの原稿依頼などというと身のすくむ思いを禁じえない。

    ただ何年かこの「思想史」の仕事に従事してきておのずと自分なりの焦点が浮かび上ってきたことも事実である。フーコーにならっていえばそれは、ヨーロッパ近代の思想的脱構築にとっての最も強力な磁場としてのマルクス、ニーチェ、フロイト、そしてさらにつけ加えるところのヘーゲルとフッサール、それにアドルノである。ともあれ雑多な読書の中で、これらのいずれもドイツ語で書かれたテクストを読む作業は私にとり特権的な 「星座=布置」 ( コンステラツィオーン ) ―アドルノ独特の言葉―を形づくることになる。そして成り行き上これらの思想家の全集に親しむようになったのも理の当然であった。

    現在ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、フロイト、フッサール、アドルノには各々立派な全集がそろいつつある。「〜つつある」という言い方をしたのはどの場合もまだ全集が未完で、現在刊行中だからである―フロイト全集については事情を詳かにしないので除外する―。ドイツで「全集Gesamtausgabe」というとき、その定義は極めて厳密で綿密なテクスト校訂―ドイツ 文献学 ( フィロロギー ) の伝統!―と 異文 ( ヴァリアント ) も含む文字通りのテクストの全容収録をまって初めて「全集」という呼称が許される。従ってドイツの「全集」は刊行に多くの時間を要することが多い。たとえばルードルフ・カスナーというリルケの友人の文人の全集がネスケ書店から刊行されているが、一冊目の配本の間にたしか7〜8年を要しているはずである。こんなことはざらな話で、フッサールの全集も既に第一回配本から40年近くが経過しているが、30冊余り刊行して完結する気配はない。マルクスの全集は1970年代に刊行が始まったのだが、これも予告で初めから刊行年数を4〜50年といっているのだから気の長い話である。

    フッサール全集は『フッサりアーナ』という名前でオランダのマルティヌス・ナイホフ書店から出版されている。この『フッサリアーナ』刊行はそれ自体が戦後のヨーロッパ思想史最大の゛事件"の一つであったといってよいだろう。その刊行には幾多のドラマがひそんでおり、その刊行が残した影響の拡がりと強には瞠目すべきものがある。

    フッサールが生前(1938年死去)出版した著作はそれほど多くない。しかし彼は思索する際に考えを次々に草稿に残してゆくという習慣をもっていた。この作業の日常的な繰り返しを通じてフッサールは、それ以前に彼が到着した思想的地平を次々に乗り超えて進んでいった。この過程における変貌のあり様にこそ彼の思想的生命力が存在するといっても過言ではない。彼が自らの思想に与えた「現象学 Phanomendogie」という名称は、この不断の変貌と乗り超えの思想的努力と過程に附されたものといってよいだろう。だが彼はその所産としての草稿を思考のリズムに合わせるため独特の速記法で記していた。そのため少数の助手たちを除いてだれもそれを読むことが出来なかった。おまけにフッサールはユダヤ人でたったため晩年ナチス体制下で極めて困難な生活状況に追いこまれ、自らの思想作業の成果を公表することなど思いもよらなかった。いやそれどころか草稿自体がナチスによって廃棄される危険が強かった。

    ここから恐らくフランクフルト社会研究所の亡命劇と並ぶ、30年代の亡命劇もスリリングなエピソードといってよいフッサール草稿救出劇が始まる。主人公はベルギーのルーヴァン大学生であったヴァン・ブレダである。彼は学士号論文のためにフッサールの死の直後にフッサールの家のあったフライブルクを訪ね、初めて膨大な草稿群に出会ったのである。この草稿の救出を自らの使命と直覚したブレダは、ほとんど独断に近い形でルーヴァン大学にフッサール 文庫 ( アルヒーフ ) を設立する計画を策定し、フッサールの助手だったラントグレーべ、フィンクらと協力しつつ、ベルギー大使館の外交 特別便 ( クーリエ ) でフッサールの草稿を運び出したのである。こうして救出された草稿の保存と解読・研究のためにルーヴァン大学フッサール文庫が1938年に設立され、あの大戦下においてもたゆみない活動が続いたのであった。


『フッサリアーナ』
第1巻のタイトルページ
    1950年、この活動の成果として『フッサリアーナ』の第一冊目である『デカルト的省察』が刊行される。これによって生前の著作でのみ知られていたフッサールとは異なる「生ける現在の現象学」―それは現象学を既成の哲学の枠から越境させるものである―の探求者としてのフッサールが初めて姿を現した。『デカルト的省察』に続く『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の刊行によって、事態は決定的なものになる。哲学のみならず社会学、人類学、精神医学、心理学などの広い分野でフッサール現象学は巨大な影響を発揮するようになる。M=ポンティの『知覚の現象学』に始まるその影響史それ自身が戦後ヨーロッパ思想史そのものであるといえる程である。

    私自身もこの『省察』と『危険』の文字をたどることだけが自分の存在証明であるような時期を経験した。その経験から得たものを手がかりにマルクスやヘーゲルを改めて読み直してゆくとき、囚われた目では見えなかったものが見えてくる驚きをおぼえたものである。

    ヘーゲルの新しいライン=ヴェストファーレン・アカデミー版の全集(フェリクス・マイナー書店刊)も、マルクスの全集(通称『メガ』    モスクワと東ベルリンのマルクス=レーニン主義研究所共同編集 東ベルリンのディーツ書店刊)も今の私の仕事にとっては欠かせないものである。とりわけ新しい全集で初めて明らかになったイエナ時代のヘーゲルの社会哲学の全貌と、やはり『メガ』が明らかにしてくれた1850年代以降のマルクスの「資本論への道のり」は、既成のヘーゲル・マルクス像に修正を迫るものであり、私の思想史研究の重要なインパクトとなっている。これにある時期から私の仕事の要諦となっているアドルノの全集(R.ティーディマンと H.シュヴェッペンホイザー編集   ズールカンプ書店刊。なお第二期全集の計画が進行中)を加え、さらにコリとモンタナリの編集するドゥ・グロイター書店版のニーチェ全集を足せば、どうやら私の全集を巡る貧しい体験話も大団円になりそうである。

Hegel,G.F.W. Gesammelte Werke. Hamburg, Felix Meiner, c1968- [CB 1643]
Marx,K.H. Gesamtausgabe (MEGA).Berlin,Dietz,1975- [EC 5584]
Nietzsche,F.W.Nietzsche Werke.Berlin,de Gruyter, 1967- [CB 1692]
Husserl,E..Husserliana.Haag,M.Nijhoff, 1950- [CE 2222]
Adorno,T.W.Gesammelte Schriften,Frankfurt a.M.,Suhrkamp, 1972- [CB 1682]



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