No.21(1989.12.5)p 10-12


明治期資料マイクロ化事業の
これまでの経緯と今後の計画(その2)




山本信男(明治期資料マイクロ化事業室担当調査役)



    本紙18号で、明治期資料のマイクロ化を始めた動機と、目的の1つである酸性紙対策としての保存について述べた。この号では、その続きとしてもう1つの目的である明治期刊行物の集大成の意義と、今後の事業の展望について述べてみたい。


3.明治期刊行物の集大成

    明治時代に、一体どういう種類の文献がどの位刊行されていたのであろうか。今の所、はっきりした統計もなく、これらを明らかにする書誌や目録もない。本事業のもう1つの目的は、明治時代に刊行された文献の種類およびその量を明らかにし、明治期刊行物の全体像を把握することである。

    明治期刊行物の代表的な目録として『国立国会図書館所蔵  明治期刊行物総目録 全6巻』がある。立派な労作であり、現代の図書館活動にとって重要なレファレンス・トゥールの1つであろう。同書の凡例によれば、この目録は明治期刊行物の約7割をカバーしているという。しかし、一体何を根拠にそういえるのか分からない。明治期刊行物の総数が客観的に判明していて、はじめて何割をカバーしているといえるのではなかろうか。前にも述べたように明治期刊行物の総数は、現在の所不明である。国の中央図書館の言動は、われわれ一般図書館の言動よりもはるかに信頼度が高い。たとえ間違っていても、国のいうことだから正しいのであろうと信じてしまう。それが、日本人の一般的な習性であろう。したがって一国の機関はその言動に慎重であって欲しいし、もっと責任を感じて欲しいと思う。明治期刊行物のマイクロ化を進めて、その全国的な集大成を図ってゆく場合に、この点が大きな障害となる危険が多分にある。

    国会図書館の蔵書は、明治治の初めに作られた書籍館、次に東京書籍館、それから、帝国図書館へと引継がれた図書資料類を基礎としている。その中味は検閲のための納本が、そのほとんどであろう。周知のように、明治時代に入ってまもなく出版条例が公布され、出版物の刊行をコントロールした。出版条例の目的は、出版物を統制して、政府権力をおびやかすおそれのある出版物を排除することであり、そのために、出版の届出および納本が義務づけらていた。所管官庁へ納本された図書資料類は、検閲されたのち官営の書籍館(のちに東京書籍館、帝国図書館と名称が変わる)へ収められてその蔵書となり、戦後設立された国立国会図書館へと引き継がれている。

    昭和11年版の『出版年鑑』に、「出版図書数」(納本数)暦年表(内閣統計局調査)」というのがある。明治期のものとしては、ここに明治14年から45年までの納本数の統計がある。その総数は約70万冊である。これは、雑誌を除いた数である。また、この統計には明治元年から13年までの期間に刊行された図書数は入っていない。この13年間にも、かなりの数の図書が刊行されたと考えられる。なお、内閣統計局調査による明治期刊行物の総数約70万冊のなかには、おそらく異版や重版も含まれているであろう。しかし、それらを差引いて考えても、国立国会図書館の考えている数(17万冊)のすくなくとも3倍から4倍の図書資料類が刊行されていたと推測されるのである。そうすると、東京の中央政府には、当時の出版物の3分の1か4分の1位しか届出されなかったのではなかろうか。明治14年には、出版の届出および納本を促す内務省通達が出されているが、これは当時の納本状況を裏付ける1つの証拠であろう。

    東京にあった明治政府に、出版の届出および検閲のための納本が少なかった理由はいろいろ考えられる。

    そのひとつとして、当時の出版社の分布と流通の問題が考えられる。まず明治の初め、出版社は数百社あったといわれているが、その半数以上が京都を中心とする関西地区に存在していたようである。はっきりした数は現在不明であるが、これは、明治初期の文化の中心がまだ関西地方にあったことの反映であろう。現在とは全く逆の状況にあった訳である。当然出版物の点数も東京地区より多かったと考えれる(出版社の数および出版点数の全国的な分布については、今後の詳しい調査が必要であろう)。これら京都を中心とする関西地方で作られた出版物が、すべて検閲のために東京へ持ち込まれたであろうか。現在のように流通機関が整備されている時代とは異なり、直接にしろ間接にしろ出版物を東京へ運び込むことは、大変困難で面倒な仕事であっただろう。また、関西人の気持を考えると、わざわざ東京まで出かけて、明治新政府の役人に出版の許可を求めることに対する何らかの抵抗があったのではないかとも想像される。もちろん、文化の結晶としての出版物を検閲するということへの反撥も当然あったと思われる。

    そのほかにもいろいろな理由があったのだろうが、いずれにしても、当時の出版物の一部分しか納本されていなかったのは確かであろう。その他の出版物は、出版された地域を中心とする限られた範囲にしか流通しなかったのではなかろうか。したがって、現在も東京以外の地方の図書館に分散所蔵されている明治期資料はかなり多いように思う。1年余り明治期資料刊行物を扱ってみて、その感を深くしている。

    したがって、明治期資料を集大成して保存し、後世に残すためのこの事業を達成するためには、明治期資料を所蔵している相互協力が不可欠の条件である。国立国会図書館の所蔵しているものだけで明治期刊行物のすべてをカバーできないし、ましてや1つの大学図書館が単独で成し遂げることのできる仕事ではない。外国の諸機関を含めての協力が、明治期文献集大成への不可欠な条件となるだろう。日本の歴史にとってきわめて重要な意味を持つ明治時代を、記録として残すためには、すべての機関が謙虚に事実を認識して行動することが必要であると思う。

    ひょっとしたら、手許にある資料だけを見て、明治時代はこうであったと判断しているかも知れない現在の状態を改善し、客観的な資料を使って明治時代を正当に評価できるような環境を、後世の人達のために作ってあげる責務が私達に課せられているのではないだろうか。そのためにも、明治期文献集大成の作業は絶対に必要であるし、現代に生きるわれわれをおいて他にはなしえない仕事であろう。何故ならば、明治期資料は酸性紙等の原因により、現在も朽ち果てつつあるからである。

    この明治期資料マイクロ化事業は、現在早稲田大学所蔵の文学・言語関係を対象として進行中である。文学・言語関係だけで約1万冊と考えているが、早稲田大学には、演劇博物館をはじめとして33ヶ所にのぼる図書関連施設がある。これらすべての機関が所蔵する明治期資料を包含する予定なので、総冊数はもっと増えるかも知れない。文学・言語関係は2〜3年で完了する予定で、以後、早稲田大学の分類に従って全分野の蔵書をマイクロ化してゆく予定である。

    将来は、内外諸機関が所蔵している明治期資料を含めたわが国の明治期資料の集大成ができるように、マイクロフィッシュの形で製作している。安く手軽に作る方法としてはフィルム化も考えられるし、現在進行中の他のプロジェクトはマイクロフィルムで製作しているが、本事業は、あえて金も手間もかかる方法をとった。その理由は、この仕事は2度と繰返しのできない性質のものであり、そのうえ国際的に承認されたフォーマットにしたかったからである。たとえ途中で挫折することがあっても、次の時代の人達がこの方式にのっとって継続することができるような方策を講じておく必要があると考えたからである。

    昨年9月、英国図書館主催の Colloquium on Resources for Japanese Studies で、本事業の目的および内容について発表し、ヨーロッパ各国の日本研究機関に対して協力を要請した。英国図書館をはじめドイツ、オランダ等の参加者は深い理解を示し、国際的なプロジェクトである一連のSTC シリーズへの日本の参加を心から喜んでくれた。この仕事を始めてよかったと思うと同時に、遠い困難な道のりを考えると、えらいことを始めてしまったという後悔の念が頭をよぎり、複雑な気持をいだいて帰国した。

    その後、今年の7月アメリカのCommittee of East Asian Libraries(CEAL) から原稿依頼があり、ロンドンでの発表要旨をCEAL の47号に掲載した。明治期資料マイクロ化を計画していたときから、アメリカの主な大学図書館と連絡をとり、協力への理解をえていたが、この論文発表以来、アメリカからの反応は予想外に大きく、事業遂行への自信を深めている。ここ数ヶ月間だけでも、RLIN(アメリカ研究図書館グループの情報ネットワークシステム)からの度重なる協力申込みや資料の提供、アメリカ保存およびアクセス委員会のP.バッテイン委員長の来室など、積極的な反応がある。そのほか、中国国家図書館のアジア関係担当者と話合う機会を持ったが、彼等もアジアの一員として深い理解を示し、将来協力できることを望んでいると話していた。

    今から30年近く前になるが、早稲田大学図書館に就職して間もなく、吉野作造をはじめとする明治研究者が創始した『明治文化全集』の追鋪出版が行なわれた。まったくの偶然であったろうが、若輩の私に「国憲汎論篇」と「教育篇」への執筆依頼があった。『明治文化全集』といえば、日本の出版史に永久に残る歴史的な出版物であり、未だ20歳代であった浅学非才の私が、何故関わりあえたのか、今だに不思議な気がする。

    しかし、今考えると、吉野作造をはじめとする研究者が、明治の文化を記録としてまとめ、残したいと考えて発刊した『明治文化全集』に関わったということが、現在行なっている明治期資料マイクロ化を企画した発端であったのかも知れない。入館して間もなく関わりを持った『明治文化全集』の延長線上の仕事としての明治期マイクロ化事業を立派に完遂すべく今後も協力してゆきたいと考えている。



右の3冊は原本だが劣化が進んでいる。左は復刻本。マイクロ化が待たれる。




マイクロフィッシュ版明治期刊行物集成。



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