No.21(1989.12.5)p 8-9


酸性紙問題と資料保存

(株)T.S.スピロン営業部    神 谷 修 治


1.資料保存のための箱について

    東京国立博物館で「平城京展」が開催されました。ご覧になった方も多いと思いますが、展示物の中に『長屋王願経』(712年)などの紙資料がありました。これらの資料は1200年以上の時の流れを越え、現在もなお完全な形をとどめ、つい今しがた書かれたかのように鮮やかな墨痕を残しています。

    一方、僅か100年ほど前の、洋紙をつかった紙資料の多くがぼろぼろで、崩壊の危機にさらされています。アメリカの議会図書館ではすでに蔵書の4分の1がボロボロで通常の利用に耐えられなくなっています。そして我が国でも国会図書館の蔵書の数%が、この領域になっています。

    こうした紙資料の劣化は「酸性紙問題」として近年、大きく取り上げられてきました。紙の劣化には、外部要因(光、虫、カビ、ホコリ、温・湿度の急激な変化、大気汚染など)と内部要因(酸性紙など)がありますが、特に内部要因としての酸性化は重大です。酸性紙は内在する酸によって自己崩壊を続け、最終的には手で触れるだけで崩れてしまうほどの状態になってしまいます。

    このような、ゆっくりではあるが確実に進行する酸化に対して、これを克服するためのさまざまな研究が進められています。このうちの代表的なものが「脱酸処理」です。劣化を食い止めるための手段として最も有力な方法です。現在、コストや安全性、効果などに若干の課題が残されていますが、欧米ではすでに導入例があり、我が国でも実用化が期待されています。他にも、傷んだ紙を強化する手段としてラミネーションや台紙貼り、漉きだめなどの方法が考えられていますが、いずれにしても専門的な知識や技術、設備などが必要です。

    しかし、こうした処置に比べるとずっと簡単な方法ですが、今すぐにでも導入できるものがあります。私達は「弱アルカリ紙などで製作した容器に資料を収納する」という方法を提唱しています。この方法は、アメリカ議会図書館も『貴重書の保護のための箱(注)』という本で提唱しており、劣化進行を抑制させる有効な手段のひとつと考えられ、欧米では広く普及しつつあります。弱アルカリ性の材料でできた容器(箱、フォルダー、封筒など)に紙資料を収納することによって、大気中の酸や、温・湿度の急激な変化などの外部からの劣化要因を最小限に抑えることができるのです。この方法で肝心なのは、容器の材料(紙素材)として安心して使えるものを選択することです。

    上記の『貴重書の保護のための箱』では、この素材の条件として、@原材料にリグニンなどの不純物を含まないこと、ApH が8.5から9.2の間であること―などをあげていますが、この条件に適う材料は国産化されており、資料保存の現場で多くの人たちに利用されるようになってきました。図書館内で保存箱を製作し、これに自館の資料を収納するという方法は、早稲田大学図書館や国会図書館などが本格的に導入を始めました。これは将来の「大量脱酸」などの本質的な延命技術の導入に備えても、非常に有効な手段であるといえます。

(注)Boxes for Protection of Rare Books: Their Design and Construction, Library of Congress, 1982


本館で採用している保存箱。すべて手作りです。

2.資料保存にふさわしい紙素材について

    従来の、いわゆる「中性紙」と呼ばれる紙のほとんどは炭酸カルシウムの中和剤を添加し、pH 値を調整しています。しかし、原材料に不純物や酸化促進要素を含んでいれば長期間そのpH 値を維持することができません。又、たとえ中性域(pH 6.5〜7.5) にあっても積極的に資料を保存できません。保存用の紙素材は、大気汚染などの外的要因としての酸を中和させる作用が必要ですが、中性紙にはそこまでの効果は期待できません。

    ここで紹介するのは、弱アルカリ紙の『AFボード』(特種製紙製造)です。この素材は版画や水彩画を入れる額縁のマウンティングボード用として開発され、多くの美術館などで採用されていますが、近年は図書館や博物館などの資料保存の分野でも利用されるようになってきました。AFボードは原材料として高純度木材パルプを選択していますが、これは、不純物が少なく長期保存に耐えられるというコットンパルプとほぼ同水準の純度を保っています。pH 値は8.5〜9.2 (冷水抽出法による)に管理されており、酸性のみならずアルカリサイドに寄りすぎる心配もありません。又、適度の柔らかさを備えており、資料や作品をいためません。資料保存の分野では保存箱やタトゥ、フォルダーなどの材料として使われています。

    この他にも、AFボードセレクト(AFボードの片面にフィルムを貼合したもので、本の保存箱や帙など、表面強度や汚れ防止が必要な用途に使います)、AFプロテクトH (封筒や袋、ポケットなどに使います)などの弱アルカリ紙があります。これらの素材を使った箱や封筒、フォルダーなども商品化されています。


3.調湿紙 H.C.ペーパーについて

    資料保存の分野では、温・湿度の変化による資料への影響も避けられない問題です。最近の図書館蔵書の著しい劣化は、強制空調が一因ではないかとも言われています。職員や利用者にとって快適な温・湿度が資料にとっては必ずしも良い環境とは言えないからです。書庫の温・湿度は常に一定域にあることが望ましいのですが、空調が行き届いていなかったり、夜間は停止していたりする例は多いと思います。外気温の急激な変化などによる相対湿度の変化は紙資料に著しいストレスを与えます。これらの湿度変化を補助的に調整するのが「H.C.ペーパー」(特種製紙製造)です。

    この用紙は、高純度木材パルプに天然ゼオライトや貝化石などの、調湿機能をもった数種の鉱物質を漉き込んだ中性紙です。紙が本来もっている水分の吸・放湿機能と調湿剤の組みあわせにより非常に高い調湿効果を発揮します。具体的には保存箱やショーケース、書庫内などの密閉空間内で効果を発揮し、その密閉度が高ければさらに効果が上がります。美術品保存の分野では、版画などの額装にも利用され作品の「波打ち」を防いでいます。

    又、建造物の壁材や内装材などから発生するガスや大気汚染物質などを吸着する機能も合わせ持っています。例えば新設のコンクリート壁などから出る水分やアルカリ因子を吸着し、「枯らし」の期間を大幅に短縮いたします。

    H.C.ペーパーはシート状なので、様々な形状に適応でき、各種加工も簡単です。従来の粒上の製品と比べ調湿剤が飛散するという心配もありません。

    H.C.ペーパーは展示や収蔵、移送など資料保存の様々な場面で効果を発揮しますが、現在、大容量(大型書庫など)向けに更に機能アップした製品も開発中ですので、御期待いただきたいと思います。




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