No.21(1989.12.5)p 4-5


柳田泉文庫の一冊

雄松堂フォーラム「本との出会い」の講演より(2)




紅野敏郎(教育学部教授・図書館参与)



    前回は依田学海書き入れの『虚無党退治奇談』(川島忠之助訳)について述べました。これが柳田泉さんの手に入り、いま「柳田泉文庫」のなかに加わっている経緯は、本の不思議な運命を如実に物語る挿話だと思っています。

    つづいてこのたびは「柳田泉文庫」のなかの『藪の鴬』にまつわる話をいたします。『藪の鴬』はのちの雪嶺夫人三宅花圃(龍子)の作品としてよく知られています。明治21年6月10日、金港堂よりの刊行。奥付は田辺龍子。柳田さんは三宅雪嶺についてはきわめて大きく評価されていますが、この女性作家第一号ともいうべき花圃夫人の作品を繰ってみましたら、大変興味深いことが出て来ました。

    裏の見返し一ページに、柳田さんの流れるように勢いのよい筆の字が次のように書かれています。

「花圃女史藪の鴬草稿ニ巻上下三宅文庫ニ蔵す(半紙ニ中身入レタルモノ表紙)上巻六十七枚下巻七十二枚毎頁六行乃至五行ツゝ墨書也上巻六回迄下巻十二回迄、序も跋もなし」

まずここまで読んで思わずあっと思いました。『藪の鴬』に墨書の草稿があり、「三宅文庫」に蔵されていたという事実、これには驚かされました。この「三宅文庫」そのものも近代文学の研究者はまだ言及していないはずです。さらに次を読んでいきますと、驚きは倍加します。

    「本文ノ朱」に何か言葉を加えたのは、なんと「坪内逍遙也」、と出て来ます。『藪の鴬』の表紙にはたしかに「春の屋主人閲」とあり、その左側の「花圃女史著」と並んでいます。従ってなんらかのかたちの逍遙の眼が通っていたことは推察されるのですが、活字になった本にまで、坪内逍遙の読後感ともいうべき「朱」の言葉、傍点などが数多くみられるとは......。

    これは「初稿」の際の「浄写」か、いささか不明なのです。柳田さんも「逍遙との縁故はいろいろ考へ」て見る必要があると書いておられます。

    その第一はこの作が「逍遙の書生かたぎを模したる点」という部分です。それは『藪の鴬』と『当世書生気質』との文章スタイルに関する発言として重要です。第二は「花圃女史の父田辺蓮舟」は、「尾の出身にてソノ父ハ村瀬氏ノ子也サレバ尾藩ノ縁故あるなり」と柳田さんは書かれています。つまり田辺蓮舟の出生地は、前田愛執筆の『日本近代文学大事典』では、出生地未詳、となっていますが、田辺家の祖先をたどっていくと、逍遙の父と同じ尾張藩だったのです。

「逍遙の加筆もさることなれども直したると直さぬまゝのものをみてなみなみならぬ才気なるを知るべし」

と末尾に書かれています。この柳田さんの書き込みは、

「昭和二十一年九月十六日」

敗戦の日より一年一カ月後、というまさに戦後早々の時点なのです。

    花圃は樋口一葉の先輩でライバル。その花圃の『藪の鴬』は鹿鳴館の舞踏会の華やかな雰囲気がうかがえる会話より作品ははじまっています。逍遙の龍子宛の手紙、福地桜痴の序と花圃自身の序があり、また中島歌子の跋もあります。

    この本の第1ページ上欄空白のところに、「柳田泉記」として次のような朱の書き込みがあります。

「此ノ原稿上下ニ綴、三宅家蔵」
昭和廿一年九月十五日校」
朱字原文也原稿ニテハ此ノトコロダケ朱字ニテ直シアリ、直シ手ハ坪内逍遥也」

つまり柳田さんが「三宅文庫」蔵の坪内逍遙の朱の入った原稿を見られ、みずからの本にそのまま朱で書き写されたもの、ということがわかって来ます。

    この本は「小雨荘」の印、も押してあります。従って斉藤昌三旧蔵書。この本に「三宅文庫」のなかの逍遙書き込みの朱文字を柳田さんが実にこまめに写されているのですね。こういうことは今日の私たちからいうと、もう驚きの一語に尽きます。逍遙は本当にこまかく朱文字を入れています。その逍遙もりっぱなら、これをそのまま写された柳田さんにも頭が下がります。




『藪の鴬』巻頭。柳田泉の識語入。
左に「朱子 いま」とある。

    「朱字ト注記アルハ逍遙ノ直シニ従ハレズモトノママナリトスル也」
という付記もあります。

    初版の本文の1ページめの末尾の行の

    男「では今に」

というところの横に、「朱字 いま」、とあるのがそれにあたります。(本文のルビは省略する)

    7ページ7行めの、

「私くしはふだん洋服で居升が。母がいつでも下にあるものを裾でもって行くと申ますから。西洋では下へものはおきません。おくはうがわるいといつもけんくわをいたしますワ。」

にはすべて朱の傍点がうたれ、「おく」は「置く」に改め、さらには上欄には「妙」とあり、またその「妙」の下に「逍遙評」「並点」とあります。

    20ページのところの上欄には、

    「Good! Good!」

ともあります。膝を打っての言葉ですね。

    100ページのところの上欄には、

    「情慾には無味 淡白なる身」

と二行にわたっての朱文字があります。また「柳田云」という朱文字も見られます。「かんこちりめん」と書き、「ちりめんノ一種、少しちゞみかた少きちりめん也」とあります。逍遙の朱文字だけではなく、柳田さん自身のコメントもあるわけです。「かんこちりめん」の注として非常にわかりやすい文です。最近この種の注をつける力のある人が少なくなりました。

    101ページの1行めの横には、

    「心自然に愉快をおぼえぼうぜんとして居なりけり」

とあります。

    本文末尾の101ページには、

    「下女お清は如何なりしや記者もしらず」
    「ダルブレイ女史のおさなかりし折の筆のはこびもかくやはとばかり敬服いたし候」

とあり、さらに「朧妄批」と記されています。

    この本の最初に収められている龍子宛の逍遙書簡のなかには「マダムダアブレーの稚き時の…」とほぼ同じ言葉が見られます。この書簡は「明治二十一年」の「二月十五日」のもの。朱文字を入れ終わってからの書簡であろうと推察出来ます。

    逍遙が上欄に加えた批評の言葉は随所にあり、その言葉も「一幅有声画」「如是其人 妙」「又妙」「更妙」「愈々愈妙」「流暢」など多種多様。

    56ページのところには、「柳田云」がまた出て来ます。

    「私しは文学が好きですから。文学士かなにかの処へ行って。御夫婦ともかせぎにするワ。」

の上欄に「花圃女史らをいふ如し」とあります。

    その末尾には、逍遙が「朧妄批」と書き、

    「写来有神真個老筆」

と記されています。

    従って三宅花圃の『藪の鴬』の研究には、どうしてもこの逍遙の「閲」した部分が必要になるし、同時に柳田さんの発言が有効な役割を果していくことになります。





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