No.18(1989.7.10)p 11

製作と配布を担当して


新田満夫(雄松堂書店社長)



    33年前に早稲田大学を卒業してすぐミシガン大学に留学したのがきっかけで、当時は未だ試験的に仕事を始めていたUniversity Microfilm社でマイクロフィルムというシステムに初めて接する機会を得ました。

    その頃は図書等の保管スペースの問題や、酸性紙によるパルプ紙の劣化問題はまだ話題にもなっていませんでした。すでに軍事用・外交機密用に1930年代の後半からマイクロフィルムの技術が開発されていましたので、学術文献の保管やフィルム再版による利用範囲の拡大などが、図書館・研究機関で話題になりはじめていた頃です。

   1950〜60年代は、第二次世界大戦をはさむ約10年間の学術研究活動、図書館や出版情報活動の低調による空白を埋める活気に満ちていました。世界中で新しい大学の設立や図書館の充実によって、文献資料等の需要が拡大しました。非常に需要の多いものは全く新しく重版を、また100〜200部程度のものはプリント復刻版を、更に新聞・文書資料等はマイクロフィルム/フィッシュによる再版という様に、必要と目的に応じて活動を行ないました。

    70年代に入って、その規模は国際的になり、国家的な事業としていくつかの大きな企画が発表されました。そのなかには現在まで継続しているものもあります。

    70年代後半には、19世紀中期の近代製紙技術の開発によって大量生産が可能になった酸性紙の劣化と保存について、大きな問題が提起されました。1975〜85年に刊行された図書館関係の雑誌や会議等に、こうしたテーマが数多く見られます。

    最近のコンピューターによる図書館機能の機会化や文献のデータ処理等のなかで、ここ数年、世界中で国家的プロジェクトとして官民あげての文献保存――その活用化への対応としてのマイクロ化へのテーマがとりあげられています。

早稲田大学図書館は学生の頃から私にとっては誇りでした。戦火等の災難を無事くぐりぬけ、質量共に日本の図書館の歴史と将来を象徴するものです。

    19世紀の中頃、すなわち明治のはじめは日本出版史上画期的な時期でした。未だ正確なデータはありませんが、15〜20万点におよぶ刊行物が存在するとされています。それらは日本近代史の研究に欠くべからざる資料です。特に酸度の高い紙を使用している明治期資料の保存は、結論からいえばとりあえずマイクロ化して行く事が最良の方法と確信しています。

    早稲田大学図書館所蔵の明治期文献のマイクロ化への高い理想と綿密な企画を、私共の長年のマイクロフィルム出版で培った経験を生かしてお手伝させていただけることを大変光栄に思っています。特に直接マイクロフィッシュに撮影する方式は、手数と根気のいるプロセスを必要としますが、利用者への配慮からすれば裁量の方式と思われます。最近の諸外国での同種企画の標準に沿うもので、国際的な企画と言えます。

    私共は主として撮影の仕事および日本は勿論世界各国の図書館・研究機関への配布について担当させていただいております。利用者の皆様と直接接触する立場にありますので、この事業の理想や考え方を十分理解して任にあたりたいと思います。

    最高質のマイクロフィッシュは将来必要に応じて全テキストを光ディスクへ転換することも可能です。図書館が撮影の際の原本の取扱い、撮影後の完全保管に細心の注意を払っている様に、University Microfilm社等の経験者の意見を聞き、オリジナル・マスターフィルムの保管に留意していくつもりです。



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