No.18(1989.7.10)p 8-9

明治維新の文学混沌期からの脱出
―――早稲田大学は文献の宝庫―――

      

彌  吉  光  長            



1.新体詩の発生

    維新後は治安維持や政治闘争に日夜安んずることもできず、旧文学者は新聞にもぐりこんで社会種の新聞小説が盛んで、仮名垣魯文、高畠藍泉、それに久保田彦作、岡本勘造なども加わって、江戸戯作者の名残があるかと思えば、西洋種の翻訳も現われて、永峰秀樹の『 暴夜 ( アラビヤ ) 物語』が明治8年に発行された。丹羽純一郎と井上勤とは混沌時代の多作で有名であった。

    しかし、文学や語学を本格的に研究するには相当な語学力がいるので、新しい文学はなかなか現われず、混沌時代で、明治も10年代になって、学者で才能のあるものによって新しい文学が移し植えられたといってよい。

    明治になってはじめて現われたのは新体詩で、明治15年(1882年)に井上哲次郎、矢田部良吉が大学の同僚外山正一と三人で、英仏の詩、14編と自作5編を加え丸善で出版した。漢詩でも和歌でもないので、新体詩と称した。井上は更に「孝女白菊」を発表し、これに感じた落合直文は、七五調の和調で作り直し、好評であったためニ、三ヵ国語の外国語にも訳された。これが日本の詩の初めで、明治20〜30年代に発展することになった。


2.新体詩の花が開く

    詩は直接心に響いて、愛誦するものが多かった。しかし更に新詩人を誘導した。北村透谷は明治22年『楚囚之詩』を印刷したが、不満足とし皆破いてしまった。明治24年には『蓬莱曲』を作り、少年が富士山の魔神の命令を拒否する劇詩を作った。天才的・個性的な不屈の精神が現われている。湯浅半月も、明治18年に『十二の石塚』を作り、古のヘブライ族の歴史を叙事詩にし、アメリカで哲学博士になって帰ると『半月集』(明治35年)の詩集ができた。

    森鴎外はドイツから明治21年に帰朝すると、「国民之友」にドイツ語の流暢な訳詩を発表し、『於母影』としてまとめ春陽堂から出版した。

    宮崎湖処子明治23年発表の『帰省』で有名になったが、小説というよりも散文詩といった方がよい。『湖処子詩集』はワーズワースの影響を受けているが、「ニッケル文庫」というポケット版で5銭であった。10年以上探しているが、古書展で見かけても手に入らない。後明治26年『ヲルズヲルス』の伝記を書くくらい心酔した。


表紙


表紙
    ワ−ズワースには国木田独歩も影響をうけて、名作『武蔵野』(明治34年)がある。徳富蘆花の『自然と人生』もそうではあるまいか。

    明治30年代には島崎藤村、石川啄木、薄田泣菫、蒲原有明など続出し、土井晩翠のような力強い詩人も出た。しかし詩集は発行部数が少なくて、所持者は手離さないので、個人でも図書館でも少ない。早稲田が数版揃えているのは例外中の例外である。


3.翻訳小説の出現とその影響

    詩は珍書で力を入れ、小説や文学評論の余地がなくなったので、大筋を辿ると、ロシア文学とイギリス文学が先行して入ってきた。

    外国語学校は実用を主としたものであるが、ロシア語科は文学才能のある教師が多かったので、ニコライ学院出の長谷川辰之助(二葉亭四迷)や昇曙夢などのロシア通が多い。初めての小説『浮雲』はツルゲーネフの『ルーディン』の影響が強い。普通2巻と思われていたが、国会図書館に納本の3巻がある。外にないと思っていたら早稲田にある事を知って驚いた。彼はアンドレーエフからドストエフスキーを読んで、その苦悩の結果が現れ、3巻を読まずに『浮雲』を論じるのは、四迷の深刻な苦労を知らないものである。その外に『其面影』(明治40年)春陽堂版、『平凡』(明治41年)文渕堂版がある。しかし、その散文詩はツルゲーネフの『あいびき』(「国民之友」明治21年7月・8月両号)に現われ、藤村や独歩に影響した。永井荷風、夏目漱石、芥川龍之介まで影響を受けている。


    トルストイの信仰者は徳富蘆花で、その著作を全部読み、トルストイに歓迎された。明治39年版の『順礼紀行』によく書かれている。

    ドストエフスキーの『罪と罰』巻之一・二は英語からの重訳で、内田魯庵の訳がある(明治25・26年)。完全な訳は昇曙夢の手で新潮社版がある。

    翻訳やその影響を書き出したら切りがないので、柳田泉著『明治初期の文学思想』、『明治初期の翻訳文学研究』を読み、そのより所が早稲田大学図書館にあることを、異版の多いことと共に理解されたい。



おたずねコーナー

下記の図書を所蔵している機関がありましたら
是非当事業所までご連絡下さい。
TEL 03-203-4141(内71-5137)山本・加藤
○邦光社歌會 第17集、第21集、 邦光社編
  京都 山本彦兵衛刊 明治34年?
  第21集以降が出版されたのかどうかは不明です。
○東京大家十四家集評論辨 第2 鈴木弘恭著
   東京 吉川半七 明治18年頃
   第2以降が出版されているのかどうか分りません。
        なお第1は「春之部」です。

○萬葉集代匠記 第1〜4輯 契沖著 木村正辞校訂
      早稲田大学出版部 明治36年4月以前?
       洋装本で早稲田出版部の刊本を探しています。

○萬葉集代匠記 巻之一、巻之二  契沖著  木村正辞校訂
      早稲田大学出版部 明治39年 和装本
      洋装本ではなく、和装本のもので全20巻のうちの
        巻之一と巻之二が欠けています。



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