No.18(1989.7.10)p 6-7



柳田泉文庫の一冊

雄松堂フォーラム「本との出会い」の講演より(1)


紅野敏郎(教育学部教授・図書館参与)



    先ほど展示をご覧になられたと思いますが、これから刊行されたばかりの「明治期刊行物集成」のいくつかの特質について語りたいと思います。

    展示概要(1〜5)に即しつつ話を展開したいのですが、5のなかの「衣笠詩文庫」と「柳田泉文庫」が目玉でもありますので、それを先に取りあげたいと思います。この「明治期刊行物集成」の趣意書は図書館長の奥島さんによってすでに書かれ配布されていますが、その文の起案はこの事業の直接の推進にあたっておられる図書館の山本さん。その起案をたたき台にして図書館長や私たちが若干修正、雄松堂との協力によってすべり出したわけです。ここではその趣意書は読みあげませんが、御承知のように明治本の新しい形での根本的な保存(紙の劣化、酸性化)を考え、まっ先に早稲田から、ということになったのです。反応は大きく、協力大学も続出、各新聞紙上でも大きくとりあげられました。

    「明治期」と言いましても明治元年から明治45年7月の天皇崩御までというように決めているわけではなく、江戸末期も含め、また大正期をも含めて、というプランになっています。明治の研究というのは、明治文化研究会(関東大震災の直後つくられたもの)が母胎となり、「明治文化全集」刊行の仕事がまず第一歩。この全集は政治・経済から芸術一般(文学・演劇・美術その他)すべて幅広く吸収。文学という概念も純文学に限らず、幅広く言語活動一切を、という発想は、その後も筑摩版の「明治文学全集」に受けつがれています。吉野作造・尾佐竹猛ら、それに早稲田の柳田泉、木村毅さんらが全面的に協力されたわけです。この柳田、木村さん、また本間久雄さんら先輩の先生たちの精神を受けつぎ、放擲しておけばやがてボロボロになろうとする明治本を早稲田が先鞭をつけ、新しい形になおして食い止め、保存をはかる、という願いが底流にあったわけです。

15年計画という気の遠くなるような事業なのですが、出来るところから出発、というので文学・言語の分野からスタートを切ったのです。「柳田泉文庫」「衣笠詩文庫」さらに「本間文庫」、演劇博物館のもの(いずれも私たちの先輩の貴重な寄贈)などをまず軸にしながら、大学図書館の所有しているさまざまなものをそこにつけ加え、いくつかのシリーズを作り、そのいくつかのシリーズからある目的意識をもって別のグループのものをつくりあげよう、という形でいま山本さん、加藤さんたちが着々と進めて下さっているわけです。

    前置はそれくらいにしまして、具体的に以下申し上げたい。

    近代日本文学研究の先駆者柳田先生の文庫。昭和20年の空襲の際、柳田さんは戦前集めておられた本はすべて焼失。空に帰したわけです。ところが柳田さんは戦後もまたこつこつ本を集められました。逍遙・二葉亭はもとより明治期の翻訳文学、あるいは明治期の戯作の類。再び集めなおされた不屈のエネルギーにはまったく脱帽。万巻の書で埋まっていた柳田さんの戦前のお宅の話はあまりにも有名。お亡くなりになられて、稲垣達郎先生らの尽力で「柳田泉文庫」として図書館での分類、整理がはじまりました。その間いろいろな人の御苦労があったと思いますが、やっとその目録も刊行されました。私たちは早く活用したくて仕方がない。むずむずしていたわけです。大学の教師として微妙な研究者エゴというものを持ってはいますが、それをぐっと押え、久しく耐えて来ました。整理が出来、図書館の方針に従い、その上で活用させて頂く、というのが筋。これは私がタッチしています日本近代文学館も同じことです。私はこのたびの仕事ではじめて柳田さんの文庫を拝見しました。そこでさまざまな発見がありました。

    展示のなかのジュール・ヴェルヌ著、川島忠之助訳『虚無党退治奇談』(明治15年9月刊)。これは古書店でもよく見受けますし、近代文学館にもあります。しかし「柳田泉文庫」の本はまさに「天下一本」。手にしますと見返し全面を使って、柳田さんが次のように墨書されています。
        「此ノ書ハ訳者川島翁生前ノ秘蔵也」


この言葉がまっ先にとびこんで来ます。思わずはっとします。つづいて、


        「書中之朱披批圏点欄外ノ評文ハ当時ノ大家依田学海ノ手ニ成ル」


訳者川島忠之助の持っていた秘蔵本、しかもその本には当時の大家依田学海の圏点及び欄外の批評がある。「天下一本」とはこのことです。
       

「川島翁此ノ頃依田氏ヲ以テ文学之師ト仰ギツゝアリシナリト云フ翁生前此ノ書ヲ以テ予ニ与ヘントスル言アリ、一日木村毅兄翁ヲ訪フテノ帰ルサ此ノ書ヲ托サル此ノ書ノ木村兄ノ斎中ニ在ルヲ聞クト雖モ此ト同ジキモノ余ノ蔵中ニアルモノ二本ナリシカバ別ニ急ニ之ヲ取ルノ意ナシ以テ遂ニ数年ニ及ベリ」



標題紙
つまり川島翁は柳田さんにこの本をあげようといわれた。ところがある日仲間の木村さんが川島翁を訪問、この本を託された。木村さんが帰られるとき、「帰ルサ」という表現もおもしろい。そしてその本は木村さんの「斎中」(書斎の中)にある。木村さんはすぐ柳田さんに渡されなかった。「天下一本」のものではないが、『虚無党退治奇談』は柳田さん二冊所有。従ってそのままにしておかれた。「別ニ急ニ之ヲ取ルノ意ナシ」。このお二人の呼吸、なかなかおみごと。しかしそのあとが実に運命的なのです。


        「茲年昭和二十年四月十三日夜予家兵燹ニカゝリ蔵書―空ニ帰ス」


柳田さんの嘆きがずしんと伝わってくる文です。


       「予為メニ木村兄ノ書斎ニ就キ屡々書ヲ借ル木村兄架上偶々此ノ書アルヲ認メ則チ予ニ返スト云爾」


本、本、本で埋まっていたお宅が空襲で焼け、柳田さんは友人木村さんのお宅に出かけ、本を借りて仕事をしておられた。そのときあの「天下一本」の『虚無党退治奇談』があったのですね。


「予明治初期ノ古翻訳文学ヲ蔵スル数百巻ソノ中探偵小説ニ関スルモノハ井上英三君ニ贈リテ現ニソノ蔵中ニアリ、他ハ灰燼ニ帰シテ一モ残ルナシ此ノ書若シ早ク予ノ斎中ニ移リシナラバ亦同一運命ヲ免ルゝ能ハザリシナラン此ノ書ノ運命モ奇ト云フベキ也」


    もしも木村さんが川島翁から託されたこの本をすぐ柳田さんのところに持っていかれていたら、「天下一本」の本は灰燼に帰していたわけです。木村さんがしばらく自分の書斎においておかれたから残った。最後に柳田さんは、


        「今日秋雨蕭條客無ク机上又少閑アリ、乃此ノ書ヲ翻閲シテ感ズル所アリ、巻端ニ数言ヲ題ス」


ここのところも明治の人の文章です。簡潔でひきしまり、余情があります。「昭和二十年十月二十一日午時ニ近キ頃」。この時点まさに敗戦直後の秋。十月二十一日は早稲田の創立記念日。私は川島翁の息子さんの川島順平さんにフランス語を学びました。

    ここに本の運命、人と人とのかかわりの深さにふっと涙さえ出て来ます。依田学海の批評については別の機会に調べて論じたいと思っています。この本は「明治期刊行物集成」にいずれ繰り入れていく予定です。




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