No.18(1989.7.10)p 3-4




明治期資料マイクロ化事業のこれまでの経緯と今後の計画(その1)


山本信男(調査役)    


1.きっかけ

    以前、国立図書館長会議(CDNL)のテーマとして、資料保存の問題が取り上げられれたことがある。ウィリアム・バローによって初めて酸による紙の劣化問題が指摘されてから、アメリカやヨーロッパの国々では、1960年代頃からこの問題に対する具体的な対応策を講じて来た。しかし、紙の劣化を中心とする資料の保存問題は、個々の図書館および1つの国だけで解決・処理できる問題ではない。人類の知的財産崩壊の危機に直面して、当然のことながら国際的な相互協力の大きな課題となってきたのである。このような動きを受けて、前期会議のテーマとなったのであろう。

    この会議にオブザーバーとして参加した人から、日本では今の所この問題にあまり関心がないようだし、このままでは日本が取り残されてしまう恐れがあるが、果たしてよいのだろうかと訴えられた。日本のほとんどの図書館では、資料の利用を中心とする図書館運営が主流で、これまで利用のための資料保存にはあまり関心を持っていなかった。赤茶けた本やぼろぼろになった本は、それらを利用のために救おうとせず、むしろ邪魔物として図書館の隅に追いやられていたのではなかろうか。

    数年前、あるイギリスの図書館員から、イギリスではB.L.(英国図書館の略)を中心に、STC、ESTCおよびNSTCというプロジェクトが進められており、英語で書かれた刊本を中心に、グーテンベルグの活字印刷術の発明以降に作られた主要な図書類を、すべてマイクロ化して後世に残してゆく仕事をしているという話を聞いたことがある。その時彼が、「日本のように経済力も技術も世界一流の国が、何故このような文化事業に関心を持たないのか不思議だ」と話していたのが強く印象に残っている。

    当時、資料保存という言葉は知っていたがその本当の意味、図書館活動にとってそれがどういう意味を持つのか分っていなかったし、また積極的に知ろうともしていなかったように思う。しかし、何か心に引っかかるものを感じ少しずつ調査を始めた。そして、資料保存の重要性が分ってくるにつれて、この問題は、図書館の本質にかかわるものであり、図書館活動の原点であると認識するようになった。その後、イギリスから招待を受けて、B.L..の実情を視察に出かけた。ESTCやNSTCの担当者達と会って彼等の壮大な計画を知り、百数十人に及ぶ多くの人達が保存部員として資料を残すためにこつこつ働いている姿を見て驚くと同時に感動した。図書を長年扱っている人間として、何故今まで資料保存の問題を放置し亡びゆく記録文化の保存に思い至らなかったのであろうかと、自分を深く恥入ったのを覚えている。歴史を担い歴史に生きる人達とはこのような人達をいうのであろうと強烈な印象を受けた。世界の主要国の1つに数えられる日本は、1日も早く世界のこのような動きの仲間に入るべきだし、非力ながらもそのためのきっかけを作ってみたいと思いながら帰国した。その後、B.L..のR.オルストン博士が、NSTCを中心とするマイクロ化計画および資料保存についての啓蒙のため日本を訪れ、東京地区の数十人の図書館員を前に早稲田大学で講演した。その反響はかなり冷たいものであったが、これは時期尚早のためか、博士のいわんとすることへの理解がわれわれ日本人には充分できなかったからであろう。資料保存の問題は、時代を超えて未来を考える問題であり、自分が生きている時代だけを考えてこの問題を取り上げようとしている人達には、所詮理解は無理なのであろう。

劣化した図書の一例



2.なぜ明治期資料をとりあげるのか

    外国からの強いインパクトによって、日本における資料保存の問題を考えるきっかけを与えられた訳であるが、初めはただ単に「馬鹿にされてたまるか」、あるいは、「彼等に負けてたまるか」という気持ちの方が先行していたのかも知れない。しかし、少しずつ文献等を調べていくうちに、古い時代の紙は酸性紙であり、放って置けば滅失してしまうことが分ってきた。酸性紙のためにいわゆる印刷文化が崩壊してしまう危険な状態にあることが少しずつ明らかになり、資料保存問題の中心に酸性紙問題があることが分ってきた。明治時代に入って、それまで使われていた和紙に替わって洋紙が図書の材料として取り入れられ、新たに酸性紙の問題が起きてきたのである。印刷文化の広い伝達のためには、安くてしかも大量生産できる洋紙が必要だった訳である。これも時代の要請であり、時代の進歩を示す1つの例証ではあろう。この洋紙は、木材パルプを使って製造するために、紙の強度は和紙に比べて弱いうえに、インキのにじみ止めに使うボンド剤が酸性物質のために酸による紙の劣化という問題を生じさせたのである。

    洋紙(酸性紙)の寿命は約100年といわれている。日本で洋紙の製造が行われ始めたのが明治の初めであり、問題の100年を過ぎた紙を使って作られた図書資料類を、われわれは沢山抱えている。これらの資料類は、日本が西洋文化を取り入れて近代化していった経緯を示す貴重な記録であり、また、300年にわたる長い鎖国時代に熟成されてきた日本人の思想や物の考え方が、近代国家形成のために、どのように生かされてきたのかを示す大切な証拠でもある。これらの日本歴史にとってかけがえのない資料類が、現在酸による紙の劣化によって失われようとしている。

    明治時代に刊行された図書資料類が、現在どのような状態にあるのかを示す正確なデータは今の所ない。国会図書館や慶応大学図書館が行ったサンプルの調査の結果によると、明治10年から40年にかけて刊行されたものが特に悪い状態にあるとされている。これらの調査は、明治の初めから戦前、および最近までの資料についてのものであるが、なかでも明治時代に刊行された国内図書の劣化が特にひどいことを示している。これは、木材パルプを原料とした洋紙にその原因があることは明らかであり、私共が所蔵資料についてアトランダムに調べた結果も、これらの調査と一致しているように思う。

    数ある日本の出版物のなかから、特に明治期に刊行されたものを対象にマイクロフィッシュ化する理由の1つは、酸性紙による資料の滅亡から明治の印刷文化を守り、それらを後世に残して行くためである。(なお今後の計画等については次の特集号に掲載します)



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