No.18(1989.7.10)p 2


明治期資料マイクロ化事業の趣旨


奥島孝康(図書館長)




    最近、紙の劣化が大きな社会問題として取り上げられております。私たちが、日常何気なく使っており、半永久的に生き長らえるものと考えてる紙にも、人間と同じく寿命があることが判明しました。いわゆる酸性紙問題がそれです。

    明治の初め、日本の近代化を図るために西洋の知識や技術が日本に輸入され、紙の製法や印刷技術も西欧化されました。これにともない、日本古来から使っていた和紙にはない酸による紙の劣化という問題をかかえることになったのです。近年の研究成果によりますと、酸性紙によって作られている印刷資料の寿命は、約100年間しかないと言われております。わが国に西洋の抄紙法が採りいれられたのが目地の初期であり、酸性紙の主な原因といわれる木材パルプの生産が始められたのが明治の中期であります。したがって、わが国において、問題の酸性紙を用いて出版が行われ始めてから、約100年を経過しようとしております。このことは、明治中期から印刷され始めた洋紙による図書・雑誌関連資料が、現在紙の劣化によって崩壊期にさしかかっていることを意味しています。わが国の近代化の経緯を記録した重要な印刷資料が、このままでは、この世から消滅してしまうかもしれないのです。

    この問題は、ひとりわが国だけでなく、外国についても同様であり、欧米においては、この問題に対するためのいくつかのプロジェクトが早くから進められております。明治時代は長い日本歴史の中でも特別な意味をもっている重要な転換期であり、ヨーロッパの歴史のなかで、19世紀という時代が特別に重要な意味をもっているのと同じであると思われます。このようなわが国の歴史の上で特に重要な意味をもつ明治時代の印刷資料が、紙の劣化によって消滅しようとしている現在、これらの文化遺産をなんらかの方法によって保存し後世に伝えることは、現代に生きる私たちに負わされている責務ではないでしょうか。

    近代日本の原点ともいうべき明治時代に刊行された資料の全容は、現在の段階では未だ充分にわかってはおりません。明治時代は『過去のすべてのものがそこへ流れ込み、現在のあらゆるものがそこに根ざした』といわれております。このような歴史の画期ともいうべき時代に生み出された出版物の全容を明らかにすることは、明治研究はもとより、近代日本の研究にとってきわめて重要なことだと考えます。関東大震災後、明治文化研究会が生まれ、吉野作造らによって「明治文化全集」の刊行という偉業がなしとげられ、柳田泉、木村毅ら早稲田の諸先輩もこれに協力し、その推進に力を尽くされました。この企ては政治・経済・芸術・教育などの全分野にわたっての大事業でありました。私たちは、これを現代の立場から継承、発展させ、新しい技術を用いて、明治期に作り出された資料の全体像を徹底的に解明する必要があると考えます。

    明治時代は、地方における出版活動が盛んであり、出版物の流通が全国的な広がりをもっていなかった時代であったことを考えますと、明治期の資料は日本全国に分散所蔵されているものと思われます。したがって、長い歴史をもつとはいえ、一つの大学図書館の所蔵しているものだけで、すべての明治期資料を網羅できるものとは考えておりません。このプロジェクトを遂行するためには、日本全国の図書館の協力が不可欠の条件であります。しかし、幸いにも震災と戦災を免れて、東京専門学校創設当時からの蔵書を保存し、幾多の諸先輩の貴重な旧蔵書を受け継いできた早稲田大学は、この重要な課題に立ち向かうアヴァン・ギャルドとしての役割をある程度果たせるのではないかと考えています。

    いろいろ難しい問題点を内包しているこのプロジェクトではありますが、現時点で早稲田大学があえてこのマイクロ化事業をスタートさせましたのは、前述の酸性紙問題および明治期資料の全体像の解明という点を考慮して、この課題に緊急に対応しなければならないと決断したからにほかなりません。現代に生きるものの歴史への責任を果たすという意味において、将来、このプロジェクトが全国的な図書館間の協力事業に成長し、欧米における同種のプロジェクトと肩をならべる日が来ることを強く願っております。



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