No.16(1989.1.25)p 20-21



「生誕 150年記念 大隈重信展」報告


              松下真也(同展示実施委員会委員長)


 学苑創立者、大隈重信の誕生150年記念行事の大きな柱として、展示会「大隈重信展―近代日本の設計者」が、昭和63年10月21日(金)より26日(水)までの6日間、小田急百貨店新宿店本館11階グランドギャラリーに於て行われた。

10月21日(創立記念日)の朝、9時45分より、大隈信幸氏を迎えて開会式が行われ、西原総長、鎮目小田急社長、展示委員長である奥島館長の挨拶があった。また、会期中の22日より25日まで、中村尚美、佐藤能丸、木村時夫、間宮國夫各先生による記念講堂会が会場にて催され、いずれも盛況であった。6日間の総入場者数5,795名。その中には、小渕恵三内閣官房長官、西村正俊佐賀市長、吉田修一福島市長、高梨公之日本大学総長、松山義則同志社大学総長、関田英里高知大学学長といった人々も含まれている。

 生誕150年記念出版として、『図録 大隈重信』(A4判変形202ページ)を早稲田大学出版部より刊行、会場では534部の売上があった。


 全体を6部構成とし、展示した資料総数は424点。このうち50点ほどは外部機関や個人からの借用資料であった。主な展示品としては、佐賀藩製造蒸気車・蒸気船模型(佐賀市大隈記念館出品)、慶応4年長崎における列藩会議誓約書(大隈の署名の上に貼り紙がある、長崎県立長崎図書館蔵)、大隈八太郎(幼名)のほとんど唯一の自筆とされる学友送別詩(村岡忠臣氏蔵)、大隈の母三井子が奉納した藕糸観音像(渋谷区雲照寺蔵)。明治新政府官僚としての大隈の事蹟を示すものとして、日本最初の龍紋切手(逓信博物館蔵)、1号金貨(富士銀行資料室蔵)。明治14年政変関係として、伊藤博文手写の大隈参議国会開設奏議(国会図書館蔵)、福沢諭吉自筆の明治辛巳紀事(慶応義塾蔵)。東京専門学校時代の珍しい壁書(イタズラ書き)の写し、大隈自筆と思われる東京府貫属の請書(宮内庁蔵、ただし出品は複製)、外相時代爆弾テロに遭った際着ていた衣服、日本最初の選挙演説レコード、弟2次大隈内閣の出したいわゆる対華21か条要求(北京条約)の正文(外交史料館蔵)、極めて珍しい大隈首相の国会演説写真、大隈が後援した白瀬南極探検隊が持ち帰ったペンギン剥製(三宅立雄氏蔵)、さらには本邦初公開の下戸塚遺跡(安部球場)からの出土品、等々である。

 その質については、いろいろ評価もあろうが、まず量的に、大隈重信をめぐる資料が、これだけ一堂に集められたのは初めてといってよいであろう。NTV、TBSはじめ、いくつかのマスコミの取材もあった。もっとも筆者が聴いたFM東京では、「生誕100年」と放送していたが......。


 10月23日には学校で校友大会なども催され、展覧会場にも多くの校友の人たちが訪れ賑わいをみせた。受付の我々のところで懐かしそうに話しこんでいくおじいさんも多かった。


 村井元総長、荻野・平田元館長をはじめ、洞先生、入交先生、窪田章一郎先生、佐久間・高宮元事務長など、懐かしい方々が会場を訪れ、準備委員にねぎらいの言葉をかけてくださったのも、心嬉しいことであった。また、参観者の中で、家にあったものだといって大隈さんの写っている古い写真をわざわざお持ち下さる方もあった。


 この展覧会は大学主催であったが、その実質的な準備・調査および図録の編集、展覧会運営のすべてを図書館が受け持ち、館内に設けられた「大隈重信実施委員会」がこれにあたった。委員会のメンバーは、金子(担当課長)、松下(委員長)、井口、大江、岡田、忠平、平田、丸尾、渡辺(孝)、鎌倉(事務局)の10名。むろん、この委員会のいわば親委員会である大学の展示小委員会(委員長奥島館長)のメンバー、とりわけ中村尚美先生、佐藤能丸先生には、62年11月の発足当初から、顧問格として実施委員会にお加わりいただき、懇篤なるご指導をたまわったことを記さねばならない。また、解説執筆委員として、前記お二人のほか、安在邦夫、大日方純夫、吉井蒼生夫、勝田政治各先生にもご尽力をたまわった。


 図録の編集はこれらの先生方と館員の委員がそれぞれ担当の部・章をきめて、チームを組んでおこない、全体を金子・松下が統括するという形をとった。だいたいうまく行ったと思っている。編集の過程では、宮内庁書陵部の嗣永芳照先生、東京大学史科編纂所の加藤秀幸先生、国会図書館憲政資料室の広瀬順晧先生をはじめ多くの方々に大変お世話になった。A4判で200ページを超える大冊の図録を、奇蹟的ともいえる短時日で何とか上梓できたのは、先生方や館員委員諸氏の努力に加えて、早稲田大学出版部の皆さんの、文字通り夏休み返上の超人的ご努力の賜物といえる。

しかのみならず、図版写真撮影を担当したコウ写真工房の久野雅晃氏、大隈重信の生まれ故郷である佐賀市の方々、また学内では「今日の早稲田大学」の写真をご提供いただいた広報課、遺品の管理に当たってこられた庶務課、ならびに大学史編集所の皆様、さらに、側面から委員をささえてくださった館員諸氏にも、この誌面をかりてお礼を申し上げたい。こうした、たくさんの人々の有形無形のご協力、ご指導ご鞭撻があってはじめて、大隈図録は完成し、展覧会の開催もできたと思う。


 思えばこれも、良かれあしかれ、「大隈重信」という存在の、今日にも及ぶ偉大さ、カリスマ性のゆえではなかったかと今、思えてきた。われわれは、展示準備作業を通して大隈さんの一生をたどったわけだが、それは波欄万丈の政治的生涯であったとともに、失敗や後悔を繰り返す、一人の男の、ひどく人間臭い生涯だったと思う。委員会では単に大隈の遺徳や業績の顕彰ばかりでなく、彼のいわゆるマイナス面、ダーティな面についても鋭い論議がかわされた。大隈さんの人間像と、彼が生きた時代を、図録や展示でどのていど表現できたかは不安ではあるが、生誕150年という現時点での、最善の展示、図録ができたのではないかと考えている。


 しかし、来るべき生誕200年(2038年)には、もちろんモアベターなものを作ってもらいたい。




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