ふみくら:早稲田大学図書館報No.13(1988.2.15) p.24-25

新収資料紹介 12

ドイツ帝国公文書集成

「Das teutsche Reichs−Archiv」Leipzig,
1710−1722,請求番号 A26 L96(1)−(24)
法学部教員図書室

 16世紀までのドイツの大学の法学部では、「国法」は学問の領域ではなく政治の領域に属していた。16世紀に入ると、帝国国政を改造しようという政治的背景から、現行の帝国国法の全体的叙述をめざすという方向性を持った、新しい国法学が成立した。当時帝国の国制は、いろいろな単独法律・帝国最終決定・選挙協約等の雑多なものに基づいていた。そのような状況で新しい国法学に求められたのは、散在している資料を開拓し統合するような、史料の刊行であった。その時期には帝国国法について、博識な人々の手による多数の編集物が生み出されたのだが、その中のびとつがこの「Das teutsche Reichis‐Archiv」である。
 編纂者のJohann Christian Lunigは、1662年Schwalenberg in Lippischenに生まれた。JenaとHelmstadtの大学で学び、半ば公的に宮廷長官から命令を受けて、ドイツ・イタリア・フランス・イギリス・オランダ・デンマーク・スウェ一デン・ロシアに旅行した。その旅行中、各地の知人を通して図書館・文書館等を訪問し、これから編纂する著作に必要な文書や国家による出版物の収集を行なった。
 同時代に書かれた類似の著作としては、イギリスのThomas Rymer(1643?−1713)の「Foe-dera」がある。しかしアン女王の御墨付で文書館等へ自由に入ることができた彼と比較すると、知人を頼りに個入で仕事をしたLunigの費やした労カの方がはるかに大きなものであった。 晩年はEulenbergの上級公務員を経て、Leipzigの文書官の職に就いた後、1740年に78才で没している。
 本書はpars generalis・pars specialis・specilegii ecclesiastici・specilegii secularisの4つのHuptteilと、それぞれに含まれる2〜4部のContinuatio(補遺)、さらにHauptregister(主要索引)から構成される。収録されているのは審理途中の文書などではなく、純然たる決定稿とされた文書である。その内容は基本法・条約・特権状・遺言書・授封証書・相続同盟・盟約・家族法・自治条例などで、帝国全土に関連する重要な事項ばかりでなく、従来はその大部分が印刷されることもなかったような資料も含まれており、今日でもなお国法学研究の宝庫であると言われている。
 ドイツ国法学は18世紀になって、ようやく体系的な研究が行なわれるようになった。その頃の学者にJohann Stephan Putter(1725−1807)がいる。彼は、近代公法学の祖とも言われ、ゲッティンゲン大学教授としていわゆるゲッティンゲン学派を指導した。また、Gustav Hugoを通じてSavignyの歴史法学派樹立にも影響を与えた。彼はその百科全書的な広さを持った叙述によって、最大の尊敬を受けたのだが、その著者の「Litterautur des teutschen Staatsrechts(ドイツ国法の文献)」の中に本書についての記述がある。
 Putterのこの著書は当教員図書室で所蔵している。
(請求番号 A26.5 P961(l)−(4))





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Archived Web,December 14, 1999