No.12(1987.10.26)p10-11



「没後二十年記念 窪田空穂展」報告

                                   

同展準備委員会





とき 昭和62年6月8日〜13日
ところ 大隈記念室


  窪田空穂先生は昭和四十二年に九十一才の生涯をとじられた。今年はその没後二十年にあたる。図書館ではかねてから、本学出身の文学者の業績を辿って展覧会を重ねてきたが、この度は、没後二十年記念として「窪田空穂展」を開催することとなった。

  折しも、社会科学部の武川忠一教授より、師、空穂関係の資料を全て母校図書館に蒐めるべく助力をしたい。ついては窪田家の資料を全て図書館に入れて戴くよう仲介の労をとろう、とのお申出があった。それをうけて早速、館長が御子息窪田章一郎先生宅に伺いお願いしたところ、快く御承諾下さり、空穂全著作をはじめ関係資料を出来るかぎり寄贈しようとのお申出を頂いた。

  この度の展示にはその寄贈本の殆どが展示され、会場を飾った。



〔開催まで〕


三月の初旬、委員が指名されて当委員会が発足した。司書一年生という委員もあり、若い層には「窪田空穂」は馴染みの薄い名前であったので、まずは必要な知識を得るための学習から始まった。一つには関係資料を読んで「空穂像」をつかむこと、いま一つは、展示顧問をお願いした武川先生に、「空穂概論」とでもいうべき講義をお願いしたことであった。こうしてある程度共通の理解ができたところで具体的な作業に入っていった。「窪田空穂全集」全二十九巻の膨大さはまずわれわれを圧倒したが、片手に全集とそれに付された年譜をにぎりしめての勉強と作業であった。

  空穂は歌人として出発するが、また多くの詩を残し、一時期は小説家としての高い評価もうけている。教員として早稲田に招かれる以前にはジャーナリストとしての生活もあり、教壇にたってからの三大歌集をはじめ、古典の評釈評論は学会の重鎮としての偉容を示している。この様に、空穂の活動分野は非常に多面的なので展示方法は単に編年とはせず、活動分野とした。次の十グループにわけ、空穂九十一年の生涯の足跡を辿れる展観となるよう心懸けた。すなわち、「揺籃期」「空穂周辺の雑誌」「詩から小説へ」「歌人として」「研究・評論」「評釈・現代語訳」「随筆・批評」「紀行文」「ジャーナリスト」「教員として」である。これはまた、おのずから年代順ともいえるものとなった。 


  
[会場にて]


 初日には窪田章一郎先生御夫妻をお招きし、奥島館長の案内でまず会場への第一歩を印して頂いた。会場に陳列された父君の著書、書蹟、写真など感慨深く御覧頂いたようであった。

  出陳品は空穂の全歌集、全著作はもとより、館蔵の三大評釈の原稿、短歌書幅、短冊、常に座右におかれたという小沢芦庵、香川景樹の軸などまた妻藤野にあてた結婚前の書簡、遺愛品の机、硯、そして油絵肖像、胸像などバラエティーに富み、変化をもたせることができた。中でも窪田家寄贈本中にあった「山比古」の揃いは関係者の眼をみはらせたし、立命館より借用の「北光」、日大より借用の「朝の光」など初期の空穂周辺の雑誌には、参観者の中からも初めて見たとの声も多く、大変注目をあつめた。会場には自作の朗読のテープを流したので、お声を懐かしむ人も多かった。また窪田家から提供のあった多くの写真も随所にちりばめ彩を添えることができた。

  参観者は学外の国文学関係の諸氏や歌壇の方々、特に本年は「空穂会」の例会がこの展覧会に併せて大隈会場で開催されたので、例会当日はもとより、その前後にも会員諸氏が大挙して来場され、熱気を含んだ会場となった。



[会期後に] 


   最初にのべた様に、この展覧会は窪田家寄贈の資料を中心に催された。窪田先生は、何度となく自宅書庫内を捜索され、次々に資料を見付け出して下さった。体調をくずされることなどもあり、誠に有難く感謝申上げるばかりである。この度の捜索で先生御自身も初めてみつけられたという書簡その他の資料もあり、いずれ整理の上、図書館に収めようとお約束下さっている。御所蔵の空穂門下の作品群も併せて寄贈されるとのことなので、「空穂文庫」として裾野の広いコレクションに成長させたいと願っている。

  最後に貴重なる所蔵資料を快く御提供下さった方々、他機関の御援助に対し、深く感謝の念を捧げたい。

  

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